<コース>
【往路】JR大阪(6:30) → (サンダーバード1号) → JR金沢(9:13→9:27) → 高岡(10:08)
高岡駅前4番(10:43) → (加越能バス) → 国泰寺前(11:03) → 徒歩10分 → 国泰寺 → 徒歩20分 → 雨晴駅前(12:33) → (加越能バス) → 伏木一の宮(12:42) → 徒歩3分 → 越中国分寺跡 → 氣多神社 → 徒歩15分 → 伏木駅前(13:50) → (加越能バス) → 高岡駅前(14:12)

氣多大社(越中国一宮 式内社 旧県社)
国分寺跡から更に進み、坂を上った所が氣多大社への入口。
その左手には富山の名水「気多大社の清泉」が湧出。
清冽な清水の多い富山県ですが、歩いて来た身には何よりの御褒美です。
このような清水の湧く所が、社が鎮座する理由でしょう。
また境内から国府が一望できるのもあったかもしれません。

入口付近から市街地を見る
右奥の大屋根は勝興寺本堂。

入口に湧出する「気多大社の清泉」

龍口から水盤に落ちる水

清泉の案内
龍の口からではなく、この洞から湧出するのが清泉か?
氣多大社と彫られた社標の脇にある75段の石段を上った先に建つのが神明鳥居。
ここを潜ると境内が静かな樹叢に包まれて広がっており、下は絨毯を敷き詰めた様に苔に覆われています。
そんな古色蒼然とした中を参道右に木造の小さな鳥居を見て、
更に第二の階段を上ると御神木の聳え立つ拝殿前に到着。

社標脇の75段の石段

階段上の神明鳥居

鳥居に続く参道

参道脇の石灯籠

続く石段の先に見える社殿

階段両脇の御神木
氣多大社(けたたいしゃ)は、
『養老2年(718年)に僧の行基が創建したと伝えられ、また天平宝字元年(757年)に
越中から能登国が分離した後、越の大社と崇められていた能登の羽咋にある氣多大社を
越中国府に近い現在地に勧請したとも言われている。
盛時には越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺を始めとする
大伽藍が並立していたと伝えられるが、寿永年間(1182年)の木曽義仲、
天文年間(1532~1554年)の上杉軍と二度の兵火で悉く焼失したと言う。

階段上から見下ろした境内

御神木と狛犬

略史

正面に見える拝殿

社殿全景

正面より見た拝殿

拝殿前の千鳥破風と扁額
現在の本殿は永禄年間(1558~1569年)の再建。
構造は三間社流造り、杮板葺きで正面には一間の向拝を付けている。
本殿は全体に雄大な風格を備え県下でも優れた建築物である。
室町時代の特徴を持った作風が評価され昭和6年に国の重要文化財に指定された。』
とあります。

本殿解説

屋根瓦には加賀藩の梅鉢紋が

重文・本殿

拝殿(右)と本殿を繋ぐ幣殿
現在の社殿は戦国末期に焼失した後の再建なので、
古代とは直接の繋がりはありません。
唯、三筆空海や三蹟行成の書である扁額が残っているのは、
中世を通じて中央との太いパイプがあった証拠と言えます。

空海の真筆「一宮」

空海と藤原行成の扁額の解説
[参考書]
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