<コース>
【往路】JR金沢(7:02) → JR西金沢(7:07) → 新西金沢(7:47) → (北陸鉄道石川線) → 鶴来(8:15)
鶴来駅 → 徒歩8分 → 一閑寺 → 徒歩5分 → 白山市観光連盟(鶴来支所内) → レンタサイクル10分 → 日御子〒 → レンタサイクル10分 → 鶴来〒 → レンタサイクル10分 → 道の駅 → レンタサイクル2分 → 旧加賀一の宮駅舎 → 白山比咩神社 → レンタサイクル10分 → 金劔神社 → レンタサイクル3分 → 鶴来別院 → レンタサイクル5分 → 鶴来駅

鶴来別院(浄土真宗大谷派)
高台に建つ金劔宮から坂を下ると、寺院が多く目に入るようになります。
その中でも一際大きく目を惹くのが鶴来別院(つるぎべついん)。
『鶴来の地は、天平時代の古より白山信仰を土徳としながら、
白山を源流として大地を潤す手取川扇状地の要に位置している。
山の民と里の民の交流の要衝として産業経済文化など大いに繁栄してきた。

山門前にて
丁度、法要の最中なので看板が目に付く。

山門の右手に続く塀は石垣

山門の正面に建つ本堂

境内側から見た山門
戦国時代の加賀国四郡では、本願寺第八代蓮如上人の子息が入寺した寺院を 「御山」とよび、
各郡真宗寺院の中枢となっていた。
旧石川郡鶴来には上人の七男蓮悟に拠って 「清沢坊」 が創建され、後に十男実悟入寺に拠って
「願得寺」 を号する等、石川郡の御山として郡内一円門徒の崇敬を集めていた。
しかし享禄4年(1531年) 「享禄の錯乱」 と言われる一向一揆の内紛に拠り焼き討ち廃絶となった。

鶴来別院のあゆみ

本堂は白山市指定文化財

本堂屋根は平成22年(2010年)に全面葺き替え

向拝と前に張出した庇

本堂解説
清沢願得寺廃絶の後、天文年間(1532~1555年)に 「大御坊惣道場」 が建立され、
村落門徒の総意で維持運営される聞法道場が生まれる。
惣道場は明治13年(1880年)4月、金沢別院鶴来支院の公称を契機に新たな本堂建立の願いが起こり、
翌年3月には仮御堂が建てられた。明治24年(1891年)10月に現在の本堂建築が起工され、
明治32年(1899年)に完成。明治36年(1903年) 11月、金沢別院より独立して鶴来別院となった。
当別院は、加賀一向一揆以来500余年に亘り、真宗門徒の篤い御懇念と伝統を継承する
聞法の道場として今日に至っている。』 とあります。

本堂側面

本堂内陣へ向かう

内陣の様子

正面には御本尊を祀る厨子が

本堂の「遠慶宿縁」の扁額は彰如(句仏)上人染筆

本堂の欄間彫刻の天女像
金劔宮の神宮寺ではありませんが、鶴来を代表する寺院であるのは誰しも認める所。
天の真名井が発祥と言える金劔宮に対し、当院は鶴来の要衝としての立地が開創の理由と言えます。
そのため争乱に巻き込まれる事も多く、途中廃絶の憂き目にも遭ったのはそのためでしょう。
現在の鶴来周辺の様子からは想像できません。
草堂から僧堂を経て 「惣道場」 と呼ばれた当院は【騒動場】でもあったようです。

本堂前の大銀杏は火災除けか?

昭和31年(1956年)再建の鐘楼堂
雪国の風雪に耐えるべく12本柱の頑強な造りである。

境内の句碑

鶴来別院説明書
[参考書]
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