<コース>
【往路】JR金沢(7:54) → JR粟津(8:42)
粟津駅前 → レンタサイクル25分 → 那谷寺 → 粟津駅前(12:00)
[路線バス] 粟津駅前(9:55) → 那谷寺(10:12) → 徒歩5分 → 那谷寺 → 那谷寺(11:30) → 粟津駅前(11:44)

自生山 那谷寺(真言宗)
山門を抜け、杉が聳え苔に覆われた参道を進むと、左手の池の奥に奇岩群が見えてきます。
これが那谷寺を代表する名勝・奇岩遊仙境。当寺に参拝する人のお目当ては、この景色ですが、
加えてここに寺院ができた理由でもあります。

参道左手の池

行けの向こうに奇岩が顔を覗かせる
自生山那谷寺(じしょうざんなたでら)は、
『養老元年(717年)、越の大徳と呼ばれた泰澄神融禅師に拠って白山が禅定された。
同時に泰澄は巨大で幽玄な岩が多く残るこの地にお堂を建立し、本尊・十一面千手観世音菩薩を安置。
そのため当初は岩屋寺と呼ばれた。後に吉野山中より自然(じねん)知の教えを齎した。

池越しに見る奇岩遊仙境

参道からの眺望
当寺は十一面千手観音、白山比咩神、自然の岩山洞窟を本尊とする寺院で、
元より神仏を共に祀って来た。本殿は岩窟内にあり、古代より人の魂の輪廻転生の場、
禊再生、胎内くぐりの聖地にあり、自然の教えを大切にし、境内を心を癒す天然の道場とした。
平安時代中期、花山法皇は晩年この地に御幸された際、洞窟内の本尊を拝され「那谷寺」と名を改めた。
西国札所の最初の那智山、結願の谷汲山から一字ずつ採った命名であったとされる。
また法皇は境内全体を観音浄土補陀落の山の如き庭を造られた。

参道脇の満天星

景観の説明
中世には南北朝の争乱で、堂塔は尽く焼失。現在の殆どの建物は
江戸の寛永17年(1640年)加賀藩主前田利常の寄進に拠る。
現在、境内165,000㎡に奇岩遊仙境、大悲閣本殿、三重塔、護摩堂、鐘楼堂、書院等
七棟の国重要文化財建造物と広大な二つの国名勝指定園があり、
四季折々の美しい景観を楽しむ事ができる。
「自然こそ神仏」の教えに拠って大切に守り続けられてきた美しい境内は、
現代人の心を癒す場となっている。』

参道から見える紅葉と奇岩群

紅葉越しに見る奇岩窟
奇岩遊仙境は、
『昔の海底噴火の跡と考えられ、永い年月の間、風に洗われて現在の奇岩が形成された。
奇岩霊石に幾つもの窟が開口する様は、観音浄土補陀落山を思わせ、
自然を通して素朴に生きようと望む心の奥深くの「自然智」を呼び起こす景観である。
平成26年(2014年)に「おくのほそ道の風景地」として国名勝に指定された。
その奇岩山の中腹には稲荷社を祀り、五穀豊穣と豊かな自然を祈願している。』 とあります。

奇岩群遠景
どことなくアメリカ合衆国のラシュモア山の顔面石像にも見えるが…。

髑髏かハロウィーンのカボチャに見える奇岩窟
歯・瞳に見えるのは中に安置された石地蔵。

石塔と階段と奇岩窟
かつてはここまで参拝に行ったものか?
当寺の開山は白山信仰で知られる泰澄大師ですが、大師ならずともこの光景を目にすれば、
その神秘さに堂宇を建てたくなるのは自然の理。古代からの磐座ならぬ洞窟信仰を具現したもの言えます。
平安時代になってここを訪れた花山法皇も感激し那谷寺の名前を賜りますが、
これは西国札所の那智山(一番札所)と谷汲山(結願札所)から一字ずつ採ったとか。
感激ついでに自ら開創した西国札所の名前を付けるとは、意外とちゃっかりしていますが
天上の人とはそんなものでしょう。

高台からの眺望

展望台からの奇岩窟
しかし岩屋寺でなく那谷寺だったからこそ、ここまで有名に【なった寺】と思いますので、
法皇様のネーミングのセンスは抜群。歌人としても知られるだけの事はあります。
尚、この命名は東福寺と同じですが、時代を考えるとこちらが先達になります。
この場所は、奇石の奇跡に驚き、奇岩群に祈願をした人達の軌跡。
そう思いながら奇岩群を眺めていましたが、洞内に置かれた石仏の影響でしょうか、
髑髏がこちらを向いて笑っているようにも、ハローウィンのカボチャにも見えるから不思議です。

上から見下ろした奇岩窟(右手)

上から見下ろした奇岩窟(左手)
[参考書]
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