姫と梅のお話(2023.3.11)
<コース>
【往路】JR天王寺(6:18) → JR加茂(7:26→7:33) → JR月ケ瀬口(7:57) → 月ヶ瀬駅前(8:45) → (臨時バス) → 尾山口(9:00)
徒歩5分 → 梅林入口 → 真福寺 → 一目八景 → 帆浦梅林 → 梅林公園 → 天神神社・天神梅林 → 代官坂 → 月ヶ瀬橋 → 一目万本 → 奥の谷梅林 → 龍王梅林 → 八幡橋 → 紅葉の小道 → 梅の資料館(月ヶ瀬橋畔) → 尾山口
【復路】尾山口(13:40) → (臨時バス) → JR月ヶ瀬駅(13:55→14:12) → (関西本線) → JR大河原(14:18) → 徒歩8分 → 恋志谷神社 → JR大河原(15:19) → JR加茂(15:35→15:39) → (大和路快速) → JR大阪(16:54)

尾勝山 真福寺(高野山真言宗)
道標の脇の坂道を上ると梅林エリアですが、その前に地元のお寺に参拝。
駐車場の横の階段を上った高台にあります。
奈良県の観光ガイドに載っている訳ではないので穴場かと思いましたが、
思いのほか多くの方が参拝に向かっていました。地元では有名な古刹だそう。
階段を上った場所には紅白の枝垂れ梅が咲き、境内は梅の木が花盛り。
通常、梅と言えば天神様で、寺院には似合わないと思っていましたが、その偏見は撤回。

駐車場(右手)の横の小高い丘に寺院が建つ
但し、山門はない。

境内へ石段を上る

石段脇の石碑と案内板

先ずは紅白の枝垂れ梅がお出迎え
お寺も参拝者に向けて、梅に加え御朱印・御守り・書籍と準備に余念がありませんでした。
梅の花と香りに包まれた階段を更に進むと本堂。内陣は改修中とかで外陣からの参拝でしたが、
御本尊はしっかり拝むことが出来ました。

紅梅の奥には購買ではなくて寺務所
御朱印の看板も見える。

真福寺御朱印(御本尊)

パンフはなく説明書きを拝受

梅が咲き誇る境内

参道の正面に建つ本堂
尾勝山真福寺(びしょうざんしんぷくじ)は、
『治承2年(1178年)の建立、境内に菅原道真を祀る産土神として天神社を祭祀し
神霊を慰めるため、道真の好んだ梅を植えた。
本尊の地蔵菩薩は平安時代後期、藤原時代の作とされる。
仏身90㎝の一木造で、奈良風を取入れた定朝様式が感じられる秀作で、
元は金帛が塗られていたらしく、台や光背は江戸時代に補作され、
今では全体が塗り替えられている。厨子は桃山時代様式を伝えている。

石の地蔵群を左に見て本堂へ

正面から見た本堂

本堂前面の向拝にて

向拝欄間の龍彫刻

前面に掲げられた「真福寺」の扁額

外陣より拝した御本尊・地蔵菩薩

本堂前の御本尊説明
現在の本堂は平成9年の新築で、旧本堂は弘化元年(1844年)に建立された事が文献等に見える。
新築の際に、旧本堂の内陣、正面本尊上部に設置されていたのが、鳳凰彫刻の欄間で、
移設場所がないまま寺務所脇に架けられ今に至っている。今でも一部に色が残るが、
出来た当初の江戸時代後期には、美しい彩色が施されていたものと考えられる。』 とあります。

本堂前の十三重石塔

寺務所脇に架けられている旧本堂の欄間を飾った鳳凰彫刻

鳳凰彫刻近影
いまも彩色の跡が見える。

鳳凰彫刻の欄間解説
古刹ながら真新しい印象なのは平成の再建のためでした。
また当寺は月ヶ瀬梅渓発祥の地でもあるようで、御住職の話ではその梅が今もあるとか。
本堂手前にある梅は「姫若(ひめわか)の梅」と呼ばれる古木。傍らに書かれた言い伝えでは、
『元弘2年(1331年)、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すべく笠置山に挙兵。
その折に、女官の一人が難を避けるべく逃げる途中、精魂尽き果てこの地の園生(そのお)の森で倒れた。
それを見た村人が姫を助けたので、その好意に感謝した姫は真福寺の境内に梅を植え、
染色の原料となる烏梅(うばい)の製法を教えた。これが今に至る月ヶ瀬の梅林の始まりである。』
というもの。

本堂前に聳える「姫若の梅」

「姫若の梅」解説

本堂前からの眺望
左が寺務所。
この謂れについては、地元が「月ヶ瀬 梅と姫のものがたり」という絵本を発行。
絵本と言う割には装丁・内容・価格も豪華で、早速購入。
その中では女官が倒れていたのは桜峠、女官を後醍醐天皇の側女とし
姫若・姫宮・園生姫と呼ばせています。
姫が教えた烏梅は都で高く売れ、村人の暮らしを豊かにしました。
姫は若くして亡くなりましたが、村人は姫の恩を忘れず、山間に梅を植え続けました。
そして早春には川面に梅の花と月が映え、いつしかこの場所は月ヶ瀬と呼ばれるようになったとか。

寺務所で販売されていた「月ヶ瀬 梅と姫のものがたり」 ¥1000

本堂前に建つ御掃除地蔵様と紅白の梅

紅枝垂れ梅
奥に見えるのが本堂。

こちらは白梅

こちらはピンクの梅
最後に地名の由来にまで繋がるとは流石ですが、恐らく地元には様々な言い伝えが
残っているのでしょう。唯、正史には園生の名はなく、かなり伝説的。
この地で烏梅が作られたのは事実で、思うに都の人が伝えた可能性が大。
その始祖に高貴で薄幸の姫君を持ってくることで、ブランド化を図ったものと思えます。
薬九層倍(くすりくそ【うばい】)と言う位ですから、梅干よりも高額なのは当然。
高嶺の花のお妃の伝説がより高値を呼んだ事になります。
梅花から採れる梅果を加工して【売価】を上げ、村人の収入は【倍加】、
うめー商売も有ったものだと感心します。

石段横の石地蔵群

本堂脇から名張川方面(南側)を見る

同じく西側の眺望
遠くには桃香野(ももがの)集落が。
[参考書]


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【往路】JR天王寺(6:18) → JR加茂(7:26→7:33) → JR月ケ瀬口(7:57) → 月ヶ瀬駅前(8:45) → (臨時バス) → 尾山口(9:00)
徒歩5分 → 梅林入口 → 真福寺 → 一目八景 → 帆浦梅林 → 梅林公園 → 天神神社・天神梅林 → 代官坂 → 月ヶ瀬橋 → 一目万本 → 奥の谷梅林 → 龍王梅林 → 八幡橋 → 紅葉の小道 → 梅の資料館(月ヶ瀬橋畔) → 尾山口
【復路】尾山口(13:40) → (臨時バス) → JR月ヶ瀬駅(13:55→14:12) → (関西本線) → JR大河原(14:18) → 徒歩8分 → 恋志谷神社 → JR大河原(15:19) → JR加茂(15:35→15:39) → (大和路快速) → JR大阪(16:54)

尾勝山 真福寺(高野山真言宗)
道標の脇の坂道を上ると梅林エリアですが、その前に地元のお寺に参拝。
駐車場の横の階段を上った高台にあります。
奈良県の観光ガイドに載っている訳ではないので穴場かと思いましたが、
思いのほか多くの方が参拝に向かっていました。地元では有名な古刹だそう。
階段を上った場所には紅白の枝垂れ梅が咲き、境内は梅の木が花盛り。
通常、梅と言えば天神様で、寺院には似合わないと思っていましたが、その偏見は撤回。

駐車場(右手)の横の小高い丘に寺院が建つ
但し、山門はない。

境内へ石段を上る

石段脇の石碑と案内板

先ずは紅白の枝垂れ梅がお出迎え
お寺も参拝者に向けて、梅に加え御朱印・御守り・書籍と準備に余念がありませんでした。
梅の花と香りに包まれた階段を更に進むと本堂。内陣は改修中とかで外陣からの参拝でしたが、
御本尊はしっかり拝むことが出来ました。

紅梅の奥には購買ではなくて寺務所
御朱印の看板も見える。

真福寺御朱印(御本尊)

パンフはなく説明書きを拝受

梅が咲き誇る境内

参道の正面に建つ本堂
尾勝山真福寺(びしょうざんしんぷくじ)は、
『治承2年(1178年)の建立、境内に菅原道真を祀る産土神として天神社を祭祀し
神霊を慰めるため、道真の好んだ梅を植えた。
本尊の地蔵菩薩は平安時代後期、藤原時代の作とされる。
仏身90㎝の一木造で、奈良風を取入れた定朝様式が感じられる秀作で、
元は金帛が塗られていたらしく、台や光背は江戸時代に補作され、
今では全体が塗り替えられている。厨子は桃山時代様式を伝えている。

石の地蔵群を左に見て本堂へ

正面から見た本堂

本堂前面の向拝にて

向拝欄間の龍彫刻

前面に掲げられた「真福寺」の扁額

外陣より拝した御本尊・地蔵菩薩

本堂前の御本尊説明
現在の本堂は平成9年の新築で、旧本堂は弘化元年(1844年)に建立された事が文献等に見える。
新築の際に、旧本堂の内陣、正面本尊上部に設置されていたのが、鳳凰彫刻の欄間で、
移設場所がないまま寺務所脇に架けられ今に至っている。今でも一部に色が残るが、
出来た当初の江戸時代後期には、美しい彩色が施されていたものと考えられる。』 とあります。

本堂前の十三重石塔

寺務所脇に架けられている旧本堂の欄間を飾った鳳凰彫刻

鳳凰彫刻近影
いまも彩色の跡が見える。

鳳凰彫刻の欄間解説
古刹ながら真新しい印象なのは平成の再建のためでした。
また当寺は月ヶ瀬梅渓発祥の地でもあるようで、御住職の話ではその梅が今もあるとか。
本堂手前にある梅は「姫若(ひめわか)の梅」と呼ばれる古木。傍らに書かれた言い伝えでは、
『元弘2年(1331年)、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すべく笠置山に挙兵。
その折に、女官の一人が難を避けるべく逃げる途中、精魂尽き果てこの地の園生(そのお)の森で倒れた。
それを見た村人が姫を助けたので、その好意に感謝した姫は真福寺の境内に梅を植え、
染色の原料となる烏梅(うばい)の製法を教えた。これが今に至る月ヶ瀬の梅林の始まりである。』
というもの。

本堂前に聳える「姫若の梅」

「姫若の梅」解説

本堂前からの眺望
左が寺務所。
この謂れについては、地元が「月ヶ瀬 梅と姫のものがたり」という絵本を発行。
絵本と言う割には装丁・内容・価格も豪華で、早速購入。
その中では女官が倒れていたのは桜峠、女官を後醍醐天皇の側女とし
姫若・姫宮・園生姫と呼ばせています。
姫が教えた烏梅は都で高く売れ、村人の暮らしを豊かにしました。
姫は若くして亡くなりましたが、村人は姫の恩を忘れず、山間に梅を植え続けました。
そして早春には川面に梅の花と月が映え、いつしかこの場所は月ヶ瀬と呼ばれるようになったとか。

寺務所で販売されていた「月ヶ瀬 梅と姫のものがたり」 ¥1000

本堂前に建つ御掃除地蔵様と紅白の梅

紅枝垂れ梅
奥に見えるのが本堂。

こちらは白梅

こちらはピンクの梅
最後に地名の由来にまで繋がるとは流石ですが、恐らく地元には様々な言い伝えが
残っているのでしょう。唯、正史には園生の名はなく、かなり伝説的。
この地で烏梅が作られたのは事実で、思うに都の人が伝えた可能性が大。
その始祖に高貴で薄幸の姫君を持ってくることで、ブランド化を図ったものと思えます。
薬九層倍(くすりくそ【うばい】)と言う位ですから、梅干よりも高額なのは当然。
高嶺の花のお妃の伝説がより高値を呼んだ事になります。
梅花から採れる梅果を加工して【売価】を上げ、村人の収入は【倍加】、
うめー商売も有ったものだと感心します。

石段横の石地蔵群

本堂脇から名張川方面(南側)を見る

同じく西側の眺望
遠くには桃香野(ももがの)集落が。
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