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東海道関宿 西の追分 (三重県亀山市関町) <関宿 其の弐>

2023.03.23(22:12) 1418

追分に昔の町屋がおおいわけ!(2023.3.4)

<コース> 春の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:03) → JR大垣(8:37→8:40) → JR名古屋(9:14) → 近鉄名古屋(9:21) → (近鉄名古屋線) → 近鉄弥富(9:34) → 徒歩5分 → 歴史民俗資料館 → 徒歩8分 → JR弥富(10:08) → JR四日市(10:33→10:40) → JR亀山(11:07→11:14) → JR関(11:21)

関駅前 → 徒歩5分 → 関宿 → 関地蔵院 → 誓正寺 → 旧田中家住宅 → 會津屋・小万茶屋 → 旧落合家住宅 → 高札場跡・郵便局 → 深川屋 → 旅籠玉屋歴史資料館 → 旅人宿 石垣屋 → 橋爪家 → 伊藤本陣跡 → 三番町山車倉 → 鶴屋脇本陣波多野家 → 百六里庭(眺関亭) → 志ら玉前田屋製菓

【復路】JR関(13:21) → JR月ケ瀬口(14:12) → 徒歩5分 → 道の駅 → JR月ケ瀬口(15:13) → JR加茂(15:35→15:39) → (大和路快速) → JR大阪(16:54)

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東海道から地蔵院、西の追分方面を見る

 普通、JR関駅で下車して宿場へ向かうと付近へ出ますが、今回は店で予約した後なので、

出たのは地蔵院付近。全体ではかなり西寄りになります。そこで西から東の追分を目指して散策開始。

『古代に鈴鹿関があった関は中世には関氏が城を構えたが、整備されたのは江戸時代。

徳川家康が五街道を整備し、関は東海道五十三次の江戸から47番目の宿場として

参勤交代やお伊勢参りの人々などで賑わった。

関宿の範囲は東西追分の間約1.8㎞、25ヘクタールに及び、

東の追分は伊勢街道、西の追分は大和街道との分岐点となっている。

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遠くに鈴鹿山系を望む

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西へ向かうと山が近づく

 この1.8㎞の区間に江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町屋が200軒余残る。

現在、旧東海道の宿場町の殆どが旧態を留めない中にあって、名古屋の鳴海(有松)と共に

歴史的な町並みが残る事から昭和59年、国の伝統的建造物群保存地区に選定された。

関宿の町屋は、平入の二階建てが一般的であるが、二階前面を土壁で覆った塗籠もあり目を惹く。

庇の下に取り付けられた幕板は風雨から店先を守る霧除けである。

店の前にはばったり(揚げ店・店棚)と呼ばれる上げ下げできる棚が付けられており、

商品を並べたり街道を通る人が座ったりする機能がある。

座敷の出格子窓は明治以降に付けられたものである。

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街道南側に建つ町屋
座敷の前に取り付けられた出格子。昔風に建築したものか。

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これも南側の町屋
出格子と袖卯建(そでうだつ)が見える。


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庇の下に取り付けられた幕板

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内側から見た幕板
板穴は開閉できるようになっている。

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街道北側の町屋
町屋の特徴がほぼ全て揃っている。

 また商家には庵看板と呼ばれる瓦屋根の付いた立派な看板が挙げたれているが、

その文字は京都側が漢字、江戸側がひらがなと、旅人が方向を間違えない様に工夫されている。

 また町屋には漆喰細工や瓦細工など細部の意匠に工夫が凝らされたものが多くあるが、

これは職人が子孫繁栄・家運長久などを願って技を競ったものである。

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街道から見える場所に飾られた雛人形

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地蔵院付近北側の町屋
「ANTIQUE 江戸屋」 とあるが何を商っているのかしらん?

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同じ並びに建つ「ナガオ薬局」
右書きの看板も大概だが、株式会社塩野義商店特約というのが時代を感じる。

 宿場の中央付近にはかつての高札場跡。

復元された高札が掲げられたこの場所は関宿のほぼ中央、今は郵便局になっており、

町並みに外観を合わせた建物と、黒色の集配ポストが目を惹く。

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かつての高札場跡に復元された高札

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高札場跡にある関郵便局

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郵便局前の黒ポスト
単なる飾りではなく、今も現役で活躍中。

 伊藤本陣(松井家)は川北本陣と共に関宿に二軒あった本陣の一つ。

大名・公卿・高僧など身分の高い人が宿泊した。

伊藤本陣は間口十一間、建坪69坪、西隣の表門は唐破風造りの檜皮葺。

現在残っている街道に面した部分は、家族の住居と大名宿泊時に道具置き場に供する建物である。

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伊藤本陣址

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本陣解説

 もう一つの川北本陣跡の東に隣接して建つのは、鶴屋脇本陣(波多野家)。

玉屋・会津屋と並んで関を代表する旅籠の一つで、江戸時代後期には脇本陣も務めた。

鶴屋は代々西尾吉兵衛を名乗ったので西尾脇本陣とも呼ばれ、身分の高い人達の宿泊の用を務めたが、

平素は一般庶民も泊まる事が出来たと言う。二階避面に千鳥破風がその格式を示している。

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鶴屋脇本陣

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脇本陣解説

 両本陣の傍に建つのが百六里亭(眺関亭)。

関宿の町並みの中にできた小公園で江戸から百六里あることからの命名である。

通りに面した眺関亭からは関宿の町並みが一望できる。』 とあります。

 今までの関訪問は宿場中央から東追分が主。

雛祭の展示も西側は少ないとあって町屋をゆっくり見ることができました。

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脇本陣前から東追分方面を見る

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白漆喰が【しっくい】くる町屋
左の白漆喰の建物が眺関亭(ちょうかんてい)。

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眺関亭2階からの眺め
大きな屋根が地蔵院。

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関のマンホールカードと町カード

 旧田中家付近で、パンフを見ながら写真を撮っていると

年配の御当主が家の外に出られていたので、説明を聞く事が出来ました。

当主 ; 「昔の家は、必ず玄関が江戸側、座敷が京側に造られてます。」

私 ; 「それはまたどうして?」

当主 ; 「昔の壁は薄かったので、座敷の話が隣にまる聞こえになるのを防ぐためですな。」

当主 ; 「二階の壁に付いている輪っかの用途はわっかりますか?」

私 ; 「1階部分は馬繋ぎの環金具ですけど、キリンでも繋ぐのですか?」

当主 ; 「あそこは祭りや行事の時に幕を掛ける金具ですわ。」

私 ; 「こちらは中庭がありますね。」

当主 ; 「東海道が東西に走っているので、入口が北向きか南向き。日光が入るためです。」

とガイドには載っていない話を伺うことができました。

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旧田中家
旧と付くが現在の田中氏が居住されている。中庭と東側玄関が見える。

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二階の壁に付けられた金属の輪

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旧田中家付近の町屋
中庭と東側玄関は共通点。

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