<コース>
JR大阪(10:15) → 明石(JR10:53 → 山陽電鉄11:02) → 高砂(11:19) → 徒歩10分 → 高砂神社

高砂神社(県社) これは大鳥居で海に向かって立つ。
今日は播磨まで行く用事があり、少し寄り道して高砂へ。
かつては加古川駅から高砂港まで国鉄が走っていましたが1984年に廃線。
それなりに需要はあったと思うのですが、幹線から港へ行く盲腸線は距離も短く廃止の方向でしょうか。
静岡の清水港、姫路の飾磨すべて然り。現在残っているのは兵庫から和田岬に行く線くらいですが、ここも廃線の話があるとか。
かつて造船・運輸で地域の発展に寄与したものの、時代の波は厳しいようです。【盲腸】っと頑張って欲しいものです。
尚、兵庫~和田岬は山陽本線扱いとなっています。
高砂神社は大己貴命・素盞嗚尊が御祭神、素盞嗚尊の別名から牛頭天王社と呼ばれました。
池田輝政が播磨入部の際には、神社を西に移し高砂城を築城しますが、「元和の一国一城令」で廃城になり
再び戻るという歴史を辿ります。

鳥居をくぐった先にある表門

裏門 山陽電鉄から歩いて向かうとこちらから入る事に。

拝殿

拝殿奥に鎮座する本殿

本殿手前にある能舞台 能・謡曲が開催されるか?
それよりもこの神社を有名にしたのは「高砂の松」。
根が一つで幹が左右に分かれている松があり、そこへ伊弉諾尊(尉)と伊弉冊尊(姥)の両神が現れ
『神霊をこの木に宿し、余に夫婦の道を示さん』
と言った事から、相生の霊松として崇められる事になり、後に能・謡曲 『高砂』 の舞台にもなります。
付近は名前の様に砂浜で松も繁茂していたでしょうから、このような松があっても不思議はありません。
それを上手く目出度いことに結び付けた所に先人の才覚があったと言えるでしょう。

霊松殿
寛永二年(1625年)の遷宮の際に植えられ昭和12年に枯死した三代目相生の松を【まつ】る

霊松殿に保管されている三代目の幹

五代目相生の松

幹の分岐した部分

境内にあるもう一つの神木カイヅカイブキ
別名コノテガシワ、中国では松と並んで松柏と呼び常緑で目出度いとされる。柏餅の葉とは全く別種である。

尉姥神社 夫婦の神を祀るので縁結びスポットとされる。

境内にある高砂城跡碑

境内奥にある左から稲荷社・三社・住吉社

尉姥神社御朱印(今回) と高砂神社御朱印(平成5年2月14日)
近世には加古川の付け替え工事により河口に港が開かれ、町は発展。現在の工業地帯の基礎が築かれたと言えます。
町を歩くとその面影が偲ばれますが、なかでも工楽松右衛門(くらくまつえもん)旧宅は圧巻。
家業の海運業に加え、従来の綿布に比べ丈夫で耐久性のある帆布を発明し財を成しました。
価格は従来品よりも高額でしたが、品質が良いとの評判で良く売れたとか。
評価する人はいつでも居る訳で、薄利多売では駄目だったのでしょう。
最近の価格破壊を見たらどう思うか尋ねてみたいものです。
高砂神社は縁結びのパワースポットと言うことで訪れる人も多いようですが、縁結びができてもそこがスタート。
尉と姥まで行くにはお互いの努力が必要で、【工楽】を共にできる事が不可欠。
・誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに [藤原興風 古今集]
という境地にはなかなか辿り着けそうもありません。

加古川から引かれた堀川 ここの港に船がつけられた。

工楽松右衛門(くらくまつえもん)旧宅の外観

旧宅に展示している初代松右衛門(1743~1812)年が発明した松右衛門帆

旧宅の取引・商談の間
手前の床は「名栗式」と呼び、独特の削り跡を残す様式。

旧宅前にある南堀川遺構 従来はここまで船を寄せた。

旧宅の近くにある三連蔵 かつての米蔵だったとか。

高砂神社境内に建つ初代工楽松右衛門の銅像

高砂市マンホール蓋

旧宅前に1ヵ所だけあるマンホール
高砂市ゆるきゃら「ぼっくりん」と謡曲

高砂市マンホールカード 配布場所はこちら

高砂郵便局 ; 高砂神社、相生の松、翁の面、播磨灘
高砂塩市郵便局 ; 宮本武蔵・伊織生誕地碑、五輪の書
[参考書]
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