<コース> 冬の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:12) → JR和歌山(7:43→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)
観光案内所 → レンタサイクル40分 → 救馬渓観音 → レンタサイクル15分 → 道の駅くちくまの
【復路】JR紀伊田辺(13:30) → JR御坊(14:21→14:33) → JR和歌山(15:37→15:39) → (紀州路快速) → JR大阪(18:43)

瀧尾山 救馬渓観音(真言宗)
照手姫を祀るお堂。
救馬渓観音は 「きゅうばけいかんのん」 と読まず 「すくまだにかんのん」 と読むそうで、
戯曲・浄瑠璃で有名な小栗判官が由来。
「瘡痍」にかかった判官が妻の照手姫と紀州湯の峰温泉に湯治に向かう途中、
突然愛馬が病で動けなくなったが当山の霊験で全快。感激した判官は
応永33年(1426年)に廃れた堂宇を再建し 「救馬渓観音」 と名付けたと言われます。

お堂の脇に建つ由緒記
『中世より語り継がれる小栗判官・照手姫の物語は熊野地域と関係が深く、
熊野詣の紀伊路には小栗街道の名が残る。
参道途中の瀧王神社から急な階段を上ると薬師如来石像が安置された霊験薬師水。
小栗判官治癒の霊水として伝えられ、特に痣・疣等の除去に霊験あらたかとして、
この水を求めて参拝する人が今も後を絶たない。真夏でも枯れることがない不思議は今に伝えられている。
上富田を抜ける小栗街道は田辺市新庄町の中央部を通った後、新庄道分け地蔵を経て
上富田大谷地区に入り、馬の谷、飛曽川、樫の木を経て三郎坂を越えて救馬谷を抜け、
富田川流域に出る事が調査で判明している。

階段の先にある霊験薬師水

この窪みに溜まったのが薬師水?
常陸国小栗邑領主・小栗満重は応永30年(1423年)鎌倉公方足利持氏との戦いに敗北。
後に小栗家を再興した満重の子・小栗判官助重も康正元年(1455年)足利成氏に攻められ一族は滅亡する。
やがて滅びた一族を悼む人々の心から 「小栗判官物語」 は生れたとされる。
小栗判官は室町時代の人物であったが、その名は江戸時代に近松門左衛門が書き下ろした
人形浄瑠璃 「当流小栗判官」 が大ヒットした事に拠り一躍有名になった。
その話では神奈川の藤沢で毒殺された小栗判官が生き返り、湯治のため紀州熊野の
湯の峰温泉を訪れるものであるが、脚色も多く、物語に拠ってもまちまちで不明な点が多い。
唯、熊野街道を通り湯の峰温泉に至る内容は共通となっている。

薬師霊水の由緒記
二人に同行していた照手姫の父の老臣・美登小四郎はこの地に留まり、
出家し名を善知坊と改め当山の岩窟観音堂に籠って故主の菩提を弔ったとされる。
熊野高校から北へ500m程行った民家の前には今も善知坊の墓が祀られている。
また当山駐車場下の女郎渕には照手姫が観音堂参籠の折に沐浴したと言う跡が残る。』 とあります。

照手姫の生地・相模原市から贈られた「てるて桃」が中門前にある

桃の脇にある由来記
救馬で急場をしのいだ訳ですが、小栗判官・照手姫の話は実話を基にしたフィクション。
判官贔屓というのは源義経の事ですが、彼の場合も判官贔屓といえましょう。
馬の話も同じでしょうが、参拝者の求めるものと【馬が合う】のでしょう。
尚、愛馬の名前が 「オグリキャップ」 だったかどうかは定かではありませんが…。

帰路はJR上富田駅近くの道の駅「くちくまの」で一服
スタンプはやなせたかし氏のデザイン。
[参考書]
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