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熊野本宮大社 大斎原 (和歌山県田辺市本宮町本宮) <本宮大社 其の壱>

2023.05.18(22:17) 1472

時代の流れに流された神社(2023.1.26)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:43) → JR和歌山(7:47→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)

紀伊田辺駅(10:15) → (明光バス) → 本宮大社前(11:50) → 徒歩5分 → 大斎原 → 産田神社 → 熊野本宮 → 本宮大社前(13:25) → 神倉神社前(14:17) → 徒歩15分 → 神倉神社 → 徒歩20分 → 浮島の森 → 徒歩10分 → 熊野速玉大社 → 徒歩15分 → 阿須賀神社 → 徒歩5分 → 徐福の墓 → 徒歩5分 → 新宮駅

【復路】JR新宮(17:10) → JR紀伊勝浦(17:37)

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大斎原(熊野本宮旧社地)

 巡礼する際には常にお祈りしていますが、この度無事大願成就。

「成就した暁には熊野三山に御礼参りします!」と誓った手前、

行かないと罰があたりそうなので早速紀州路へ奇襲作戦。

 当初の25日出発は豪雪で1日遅れ。紀伊田辺まで電車、そこから中辺路をバス1時間半で

雪の残る本宮参拝後、熊野川を新宮までバス1時間下って速玉大社。

紀伊勝浦で一泊の後、雨の那智大社に参宮という強行軍。

速玉は平成6年、那智大社は40年前の高校時代に家族旅行で参拝しましたが、

一度に三社は初。これも【加持場】の馬鹿力でしょうか?

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バスで60分のなかへち美術館付近の光景

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杉木立も雪を被った車窓からの風景

 なんでも皇祖イワレヒコが日向から東征する際に、八咫烏の導きで熊野地方から大和へ入って

神武天皇になったそうで、中世以来、皇族中心に計百四十回もの参詣で栄えたのはそのための様です。

僻地の難所を想像していましたが、道路は整備され、途中の平地にはレストラン・宿泊施設や道の駅があって、

平日ながら結構な賑わい。皇族に【後続】する人々が多かったためでしょうが、世界遺産になった影響も大でした。

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約90分のドライブで熊野川に遭遇

 本宮大社前で下車して愈々参拝。ガイド等では先に本宮に参拝する仕来りですが、

私は創建の時代に従い、元あった大斎原(おおゆのはら)からスタート。

『神代の時代、大地の荒れ果てている事を嘆いた素戔嗚尊(家津御子大神)は、

自ら木を植えて木の国と名付けた。これが紀の国の名の由来である。

 熊野本宮は紀元前33年、熊野牟婁郡(むろごおり)音無里(現在の本宮町本宮)の大斎原に創建。

この地は、熊野川・音無川・岩田川の三川の合流する中洲である。

中世には庶民にまで広まった熊野詣は、先ずこの大斎原を目指した。

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バス停脇に建つ道標

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看板に従って目的地へ

 最盛期には五棟十二社に能舞台まで立ち並ぶ壮麗な境内があったとされ、古文書・宝物等も

多かったと記録されている。そんな当社も寛正・永禄・明和年間の三度に及ぶ大火、

就中明治22年(1889年)熊野川大洪水の際に甚大な被害を被った。

その時に流出を免れた上四社は明治24年3月に現在の本宮の地に遷座、従来の地を別社地とした。

また流出した社については、そこに石祠二殿を造営し、西方に中四社下四社、東方に元境内摂末社を合祀している。

平成12年5月11日には高さ34mの日本最大の大鳥居が竣工した。』 とあります。

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堤防上からの熊野川河原を眺める

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大鳥居への真っ直ぐな参道

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参道脇の水田の用途を記した立て札

 バス停から案内板に従って進むとすぐ目の前に大鳥居が見え周囲は田圃で障害物はなし。

そこの水田では本宮に伝わる餅菓子用の糯米と作っているそうです。

写真等でお馴染みのスポットですが、建立は平成12年と本宮の歴史から見ればほんの最近でした。

社殿は移転しましたが、木立に囲まれた跡地に入ると荘厳さで気が引き締まりました。

古代人もここにパワースポットを感じたのでしょう。

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参道の先には日本一の大鳥居が建つ

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高さ34m、幅42m の大鳥居

 ここで以前から気になった疑問が。

洋の東西を問わず古代都市は自然災害の少ない場所を選んで造られます。

いくら古代で情報が少なかったとはいえ、何故このような川の中州に社を建てたのでしょうか?

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大鳥居建立の由緒記

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大鳥居に記された「本宮の」八咫烏神紋

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こちらはリアルな八咫烏

 この一つの解答は、大斎原と言う名前。字体からはここで祭祀をしたと想像できますが、

それが何故 「おおゆのはら」 なのか。そこでこの辺りを見渡すと湯の峰温泉をはじめとする温泉が湧出。

今でこそありませんが、かつてはこの場所には温泉が湧き禊をした場所だった可能性も大。

熊野は「くまの」ですが音読みなら「ゆうや」。元来は湯屋と記していたのが熊野に変化した

というのが案外真実を伝えているのかもしれません。

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大鳥居の先に建つ世界遺産の石碑

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旧社地へと続く杉並木参道

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旧社地 「大斎原」

 今一つの解答は、川の合流点という古代水上交通の拠点だった事。

神武東征は八咫烏の導きで大和を平定したという神話ですが、どのような道筋を採ったのか?

もし川を遡るとすれば、熊野川から十津川、天の川を経て洞川へ。そこから一山超えると吉野川で、

川を下ると橿原神宮は目と鼻の先。普通には熊野から山を越える事を考えますが、

川を上手く遡上すれば行軍の距離は相当短縮できそうです。

地形的には九州から紀伊半島を回り熊野へ至るルートは考え難いとされますが、

イワレヒコは日向の美々津から船で畿内に向かっています。

神話の世界と言ってしまえばそれまでですが事実との【親和】性を持たせるためにも

現代人が考えるよりも、古代には水上交通を重視する必要がありそうです。

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大斎原の解説

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旧社地へ階段を上る

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荘厳な雰囲気の大斎原

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大斎原御朱印 (本宮大社で拝受)

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