<コース>
【往路】JR天王寺(6:43) → JR和歌山(7:47→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)
紀伊田辺駅(10:15) → (明光バス) → 本宮大社前(11:50) → 徒歩5分 → 大斎原 → 産田神社 → 熊野本宮 → 本宮大社前(13:25) → 神倉神社前(14:17) → 徒歩15分 → 神倉神社 → 徒歩20分 → 浮島の森 → 徒歩10分 → 熊野速玉大社 → 徒歩15分 → 阿須賀神社 → 徒歩5分 → 徐福の墓 → 徒歩5分 → 新宮駅
【復路】JR新宮(17:10) → JR紀伊勝浦(17:37)

熊野本宮大社(式内社 旧官幣大社 別表神社)
御幸道から168号線を渡った場所に鎮座ましますのが熊野本宮大社。
御幸道(参道)から見える小高い山が明治24年(1891年)に遷座した場所。
熊野川大洪水被害のためですが、近場に高台があったのは何より。
入口の看板には「甦りの地」とありますが、社も見事に蘇りました。
入口は全国の総本宮にしては狭い印象ですが、これは移転も影響している筈。
参拝者には開かれた広い門戸であります。

御幸道から見た新たな遷座の丘

道路を渡ると本宮入口

世界遺産の案内板
『本宮大社は熊野三山の中心で、全国に4700余社を数える熊野神社の総本宮。
主祭神は素戔嗚尊(家津御子大神)で、本地仏は阿弥陀如来とされている事から、
極楽浄土の聖地と見做されて来た。
かつては大斎原と呼ばれる中洲に鎮座していたが、明治22年(1889年)の水害を受け、
免れた上四社三棟を現在の地に移築・再建され遷座。

いよいよ鳥居をくぐり本宮社へ向かう

鳥居脇に建つ社標

鳥居の奥に続く参道

鳥居の扁額 「熊野大権現」 は北白川房子筆
中辺路・小辺路、そして大峯奥駈道と言ったいくつもの参詣道の交差点に鎮座する本宮大社は、
熊野詣の最初の目的地であり、ここから熊野川を下り、熊野速玉大社から熊野那智大社へと
参詣するのが一般的と言われている。
鳥居をくぐると杉木立の参道が真直ぐに延び、そこから158段の石段参道を上ると社務所前。
正面に総門が控える。』 とあります。

鳥居の直ぐ後ろは砂利道

砂利道に続く158段の石段

参道左手に建つ功霊社
本宮出身で日露戦争(四柱)、第二次世界大戦(五十八柱)で戦没された御柱を祀る。

功霊社に続く祓戸大神
参拝者はここに参拝してから本宮に進むのが慣わしとなっている。
大斎原の大鳥居を見た後では、小振りに見えてしまう鳥居ですが、扁額は北白川房子謹書。
明治天皇第七皇女で戦後、女性初の神宮祭主となった方。本宮の格式の高さをあらためて感じます。
それに続く道にも功霊社、祓戸大神、手水舎が鎮座。参道を行くのに三度立ち止まる訳ですが、
お詣りすることで、本宮への畏敬の念はより高まります。昔ながら、精神的効果を狙ったしくみと言えそうです。

参道右手の手水舎

手水舎から先は八咫烏が道案内?

参道左手には神職の住居が

参道の先に建つ宝物館は残念ながら休館中

石段を上り切ると社務所前
正面に総門が見える。
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