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タイトル画像

熊野本宮大社 本殿 (和歌山県田辺市本宮町本宮) <本宮大社 其の肆>

2023.05.21(19:02) 1475

熊野詣最初の到達点(2023.1.26)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:43) → JR和歌山(7:47→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)

紀伊田辺駅(10:15) → (明光バス) → 本宮大社前(11:50) → 徒歩5分 → 大斎原 → 産田神社 → 熊野本宮 → 本宮大社前(13:25) → 神倉神社前(14:17) → 徒歩15分 → 神倉神社 → 徒歩20分 → 浮島の森 → 徒歩10分 → 熊野速玉大社 → 徒歩15分 → 阿須賀神社 → 徒歩5分 → 徐福の墓 → 徒歩5分 → 新宮駅

【復路】JR新宮(17:10) → JR紀伊勝浦(17:37)

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熊野本宮大社(式内社 旧官幣大社 別表神社)

 石段を上るといよいよ本宮。幟の立つ参道の石を踏みしめて進むと厳かな気分はいやが上にも高まります。

古の参拝者は分かりませんが、この日は融け残った雪を踏み分けての参拝。気が引き締まる思いでした。

熊野への道筋は、王子が点在する山中を行く中辺路、海岸沿いを進む大辺路、高野山から向かう小辺路、

伊勢神宮からの伊勢路と幾通りかありますが、最初の参拝は全てここ本宮から。

その後、熊野川を下り速玉大社、那智大社を巡るのが所謂区熊野三山。

本宮の樹木、新宮の巨岩、那智の大滝と言う人知を超えた自然を祈りの対象とし、

神仏習合が盛んになる平安以降は、本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、

那智では千手観音を熊野権現として祀るようになりました。

 総門前に建つ授与所で御朱印拝受。御朱印は何種類かあって通常と正月版を頂きました。

併せて参拝の栞も購入。入山料は不要だったので、これくらいの出費は楽勝。

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本宮由緒記

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授与所全景

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御朱印に付帯の説明書

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説明書裏面には案内図と御朱印の場所が

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参拝の栞 (有料)

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本宮御朱印 (通常版)

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本宮御朱印 (正月版)

 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は、

『御鎮座の年代は文献等では定かでないが、神武東征以前には既に御鎮座になったと言われている。

第16代崇神天皇65年に熊野川中洲の大斎原の地に社殿が創建されたと

「神社縁起」「帝王編年記」「皇年代略記」等に記載されるのが文献上の嚆矢である。

 主祭神の家津御子大神(けつみみこのおおかみ)は熊野坐大神(くまぬにいますおおかみ)とも呼ばれ

素戔嗚尊にも例えられるがその詳細な素性は不明。一説には唐の天台山から飛来した神ともされる。

中洲に鎮座した故、水を司る神、紀の国であるから木の神と諸説あるが、

大神の神遣である八咫烏が太陽の化身である事から始元は日神であったというのが有力である。

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総門前に建つ旧社号標

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社号標解説

 熊野本宮を祀った神職の熊野国造(くまのこくぞう)家は、天照大神の孫の饒速日尊の子孫を名乗り

物部氏と同祖。孫の味饒田命(うましにぎたのみこと)が熊野連を名乗った。

その子孫の高倉下(たかくらじ)は熊野の地にあって、東征してきた磐余彦命(いわれひこのみこと)に

天剣布都御魂(ふつのみたま)を献じて迎え、時を同じくして高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は

天より八咫烏を遣わし大和橿原の地まで導いた。磐余彦命はそこで即位して神武天皇となった。

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総門を潜り本殿へ

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総門の注連縄と菊の御紋の入った垂れ幕

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塀越しに見える社殿屋根

 第10代崇神天皇は大和民族の主旨として神を祀る事を考え、神宮(伊勢)や本宮(熊野)が奉祀された。

第13代の成務天皇の御代には国々の境が決められ、紀伊半島の南半分に当たる熊野の国造には

高倉下の子孫の大阿斗足尼(おおあとのすくね)が就任。

以来この子孫の和田氏が代々神職として江戸末に及んだ。

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本殿側から見た総門

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熊野本宮本殿

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本殿の参拝順序の説明板

 奈良朝の頃から本地垂迹説が行われ、熊野本宮では御祭神を阿弥陀如来の化身として

熊野大権現として仏名を配する様になった。寛治4年の白河上皇の行幸では初めて僧鋼三人が供奉、

その一人法印僧都増誉上人は導師を務めた功に拠り熊野三山検校に補された。

その下に三山を管理する熊野別当職が置かれたが、多くの荘園を支配するその権限は大きく、

特に田辺別当である本宮別当湛増はその機略で熊野水軍を率い源平合戦に参加、

その勝敗を左右したのは有名である。

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第一殿(左)と第二殿

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熊野造の重文・第一殿 西御前
夫須美大神を祀り、本地仏は現世を司る千手観音。

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重文・第二殿 中御前
速玉大神を祀り、本地仏は前世を司る薬師如来。

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仲御前の神門近影

 平安時代になり、清和天皇の御代に従二位を、醍醐天皇の延喜の制では熊野三山中では

唯一の名神大社に列した。その後、宇多上皇の本社行幸、朱雀天皇の天慶3年には

西国海賊平定(純友の乱)の御奉幣に拠り正一位の極官に至った。

中古以後は諸国に造営料地が寄進され、三公もしくは将軍が造営奉行として

国家規模の事業として造営が執り行われた。近世になり、

光格天皇の享和2年に本社・第一殿・第二殿が、文化7年には第四殿が造営されている。

 明治維新に入り、明治4年5月には国幣中社に、大正4年11月には官幣大社列せられている。

終戦後の昭和21年には官制は廃止、一宗教法人となり現在に至っている。』 とあります。

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第三殿と第四殿

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重文・第三殿 証誠殿
家津御子大神を祀り、本地仏は来世を司る阿弥陀如来。

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熊野造による証誠殿

 総門を潜ると正面に五社殿が鎮座。樹木を祈りの対象とするだけあって木肌を前面に出した建造物でした。

社殿前には社殿の上に数字が記してあり、この順番に参拝するのかと思いましたが、

ややこしかったので左から右へ順次参拝。後で確認するとその順番で良かったようでホッと一安心しました。

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重文・第四殿 若宮
天照大神を祀り、本地仏は十一面観音。

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四本殿の右にひっそりと鎮座する満山社
人と人の縁を結ぶ玉石を祀る。

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第四殿の屋根

 当宮への道筋は何通りかあるようですが、ふと気になったのは熊野川を利用する方法。

大斎原の段にも記したように、飛鳥の都、紀州の和歌山から川を遡れば、

陸路を極力抑えて本宮まで辿り着くことが可能。参拝は己の力で苦労して行く事が重要視されますが、

何時の時代でも怠け者もとい要領の良い者は居る訳で、川を使ってのお詣りが出来た事が、

これほどまでに熊野詣が流行した背景にあったと想像しますが、どうでしょう?

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本殿を囲む社叢
手前は御製の歌碑。

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総門に続く築地塀

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境内側から見た黎明殿

[参考書]

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