<コース>
【往路】JR天王寺(6:43) → JR和歌山(7:47→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)
紀伊田辺駅(10:15) → (明光バス) → 本宮大社前(11:50) → 徒歩5分 → 大斎原 → 産田神社 → 熊野本宮 → 本宮大社前(13:25) → 神倉神社前(14:17) → 徒歩15分 → 神倉神社 → 徒歩20分 → 浮島の森 → 徒歩10分 → 熊野速玉大社 → 徒歩15分 → 阿須賀神社 → 徒歩5分 → 徐福の墓 → 徒歩5分 → 新宮駅
【復路】JR新宮(17:10) → JR紀伊勝浦(17:37)

神倉神社(熊野速玉大社飛び地境内摂社)
熊野三山の巻頭を飾る本宮大社参拝の後は、次の目的地新宮を目指して13:25発のバスに乗車。
次のバスでは新宮市内散策が厳しいためですが、本宮での滞在時間は90分。
昼食も含め、もう少し滞在したかったというのが本音でした。乗車時に運転手さんに確認、
私 ; 「イワクラ神社近くに停まりますか?」
運転手 ; 「イワクラ神社ですか?」
私 ; 「山の上に大岩がある神社ですけど。」
運転手 ; 「カミクラ神社なら停留所がありますよ。」
名前もあやふやな旅行者にきちんと対応して頂き感謝です。

バス通りに立つフォトスポットの看板

フォトスポット(駐車場)からの遠望
バスは熊野川に沿って50分で神社前のバス停へ。昔の巡礼者も通った道でしょう。
この道筋を見る限り、絶対に川下りで参拝した人が多かったと確信します。
下車すると早速山の頂上付近に社殿が見え、傍の駐車場には撮影スポットの看板が。
写真でよく見る光景ですが、ここで拝んで済ます人も多いのでしょうか?

撮影の後、神社へ向かう

参道に続く朱塗りの太鼓橋
市街地の西に聳える権現山は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に登録されています。
その権現山の南端100m程の断崖絶壁の上に、高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神を祀るのが岩倉神社。
岩倉神社(いわくらじんじゃ)は、
『熊野の神々が最初に降臨したとされる熊野信仰の原点。山頂付近にある巨大な岩が
神々の降臨したとされるゴトビキ岩で、ゴトビキとは熊野地方ではヒキガエルの事。
その形が似ている事から名付けられたとされる。

太鼓橋の右に建つ「下馬標」

境内から太鼓橋を見る
ここに降り立った神々を熊野速玉大社の地に祀り、新たに社を建てたことから「新宮」の名の由来とされる。
『日本書紀』に神武東征の際「熊野神邑に至り、天磐盾に登る」と記されているのが神倉山である。
実際、ゴトビキ岩の周辺からは弥生時代の銅鐸も見つかって居り、古くから信仰の場であった事が覗える。
神倉神社入口の太鼓橋の右手には、乗り物はここで降りるように示した「下馬」標石があり、
表面には寛文12年(1672年)奥州の大銀与兵衛盛道が、熊野三山に七度参詣した記念に寄進した
と記されている。

橋を渡って右手にある社務所
「無人なので対応は速玉大社にてお願いします」 の貼り紙が。

御由緒
下馬標石の右手数十メートルには戦国時代から江戸時代にかけて熊野曼荼羅を携えて全国を巡り
熊野信仰を布教した熊野比丘尼の妙心寺があったが今は廃寺である。
明治に入り廃仏毀釈、修験道廃止令などに拠りゴトビキ岩を覆う社殿は荒廃し、明治13年の台風で倒壊。
今は礎石だけが残る。現在の社殿は昭和初期に建てられたものである。
太鼓橋を過ぎた右手には社務所と思しき建家がみえるが無人。貼紙には「対応は速玉大社で」と記載されている。

石段への参道の右手に並ぶ石碑

天磐楯の碑

天磐楯由緒
太鼓橋から左手に進むと社殿への石段の参道へ至るが、その右手には、
・神武天皇紀「到熊野神邑且登天磐盾」
・見せてやりたい神倉山のお燈まつりの男意気
の野口雨情の歌碑が建ち、石段手前には
・みくまのの 神くらやまの いはだたみ のぼりはてても なほおいのるかな
入道前太政大臣 (続古今集) の歌碑が建つ。この歌には
「入道前太政大臣、熊野にまうで侍りける時、かむのくらにて太政大臣従一位きはめぬることをおもひつづけてよみ侍りける」
という詞書があり、
「高い神倉山に登りつめて祈った。しかし信仰とはいわだたみ以上に高く、まだまだ祈らなければいけない」
というのが大意である。

野口雨情の歌碑

解説はないが 「御燈祭り」 を読んだものか?
・火となりて 走る男や 御燈祭り と読めるが…

入道前太政大臣歌碑
朱い鳥居の先に続く参道は、源頼朝が寄進したと伝わる538段の鎌倉積みの石段で、
登り口から中ノ地蔵堂までは最高傾斜角45度の急峻が続く。』 とあります。
新宮という名前から熊野本宮を新たに遷座したと思い込んでいましたが、実は遷座したのは当社。
しかも新宮と言うからには江戸時代頃かと思っていたのに遷座は景行天皇の御代の西暦128年。
遥か神話時代の話で、今回初め知る内容でした。

朱の鳥居の先の石段へ

権現山の写真付き解説

登り口に置かれた善意の杖は必要なしと思ったが…。
早くに遷座されたとはいえ、今まで多くの参拝者があったことは境内に残る歌碑で理解出来ます。
中でも太政大臣の歌碑は秀逸。信仰はこの山よりも高くなければ、と詠んでいますが、
私にはまだまだ出世したいと祈っているように思えてなりません。
朱の鳥居から自然石の石段を行きますが、その手前には登山用の杖が。
「高々538段で杖など…。」と高を括っていましたが、上り始めると結構急な事に加え、
自然石特有の不安定さがあって、いつ足を踏み外してもおかしくない状況。
疲労よりも神経を集中する事に疲れた上りでした。
「538段は誤算や!」、やはり「転ばぬ先の杖」は大切です。

正面から石段を見る

意外とキツイ石段を行く

石段途中にある火神社(左)と中ノ地蔵堂
ここらでちょっと一休み。
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