<コース>
【往路】JR天王寺(6:43) → JR和歌山(7:47→8:07) → JR御坊(9:09→9:13) → JR紀伊田辺(9:54)
紀伊田辺駅(10:15) → (明光バス) → 本宮大社前(11:50) → 徒歩5分 → 大斎原 → 産田神社 → 熊野本宮 → 本宮大社前(13:25) → 神倉神社前(14:17) → 徒歩15分 → 神倉神社 → 徒歩20分 → 浮島の森 → 徒歩10分 → 熊野速玉大社・佐藤春夫記念館 → 徒歩15分 → 阿須賀神社 → 徒歩5分 → 徐福の墓 → 徒歩5分 → 新宮駅
【復路】JR新宮(17:10) → JR紀伊勝浦(17:37)

新宮市立佐藤春夫記念館
速玉大社の境内の一角にモダンな家屋がありますが、これは新宮の生んだ文豪・佐藤春夫の旧邸。
人国記にもあるように地域によって人物の特色が見られますが、私見では和歌山は文学の県。
思い付くだけでも佐藤春夫を始め、東くめ・有吉佐和子・中上健次・津本陽と全国区の作家が名を連ねます。
そんな中にあって文化勲章を受章したのは佐藤春夫のみ。

旧邸全景

移築の説明
『佐藤春夫は明治25年4月9日、新宮市船町の医者の家に生まれる。
慶応大学を中退後、与謝野鉄幹、永井荷風に師事。
抒情詩人として名を挙げたが、後に小説に転じ『晶子曼陀羅』等の作品を残す。
親友・谷崎潤一郎と不破になった彼の妻に同情、結婚した“事件”は文壇史上では
よく知られたエピソードである。「秋刀魚の歌」はその頃の作品で紀伊勝浦駅前に碑が建つ。
本記念館は東京文京区関口町にあった旧邸を、生誕地近くの熊野速玉大社境内に移築したもの。
庭には末弟秋雄のドイツ遊学の記念としてマロニエの樹が植えられて居り、
春夫はこの樹に夭逝した弟を偲んだという。

速玉大社境内に建つ春夫句碑
・秋晴れよ 丹鶴城址 児に見せむ と彫ってあるそう。

句碑解説
建物は昭和2年完成、文化学院創設者で新宮にも所縁の深い西村伊作の弟大石七分の設計になる。
木造一部鉄筋の二階建てで六角形の塔を付け、アーチ型の入口や窓を設けたモダンな造りである。
本記念館では生原稿5000点、書籍2000点を始め愛用した机やペン、筆などの文具類は
趣味の品8070点を収蔵。再現した客間に、いくつかのコーナーを設けて随時展示。
“近代的憂鬱”と言われた文豪を偲ぶ縁(よすが)としている。』 とあります。

境内の塀?にも春夫の作品が

『望郷五月歌』 と題された作品

速玉大社へ向かう道筋にあるうなぎ老舗 「鹿六」
佐藤春夫も通った名店だが、生憎「準備中」の札が…。
慶応大学進学後は、専ら関東を拠点に活躍したようですが、故郷への思いは続いていたようで、
しばしば帰郷していたようです。駅前にも碑が立ちますが、故郷の新宮ではなく紀伊勝浦駅前。
新宮は郷土の先達の東くめ女史に譲ったようなものでしょうか。
作品もさることながら、三千人とも呼ばれる門弟を育てたのは、他の作家にはない功績と思います。
谷崎の妻との事件は、世間の常識から見るとかなり疑問ですが、それによって作品の評価が
変わる訳ではありません。尚、妻を譲った谷崎も文化勲章受章者。
勲章は功績に対して与えられるものであって、人間性に対して授与されるものではないのは明らかです。

新宮駅前に建つ東くめの「鳩ぽっぽ」歌碑

東くめ 略歴
東京音楽学校で滝廉太郎と同窓だった記憶が。夭逝した廉太郎の分まで活躍したと言えそう。

紀伊勝浦駅前に建つ佐藤春夫の「秋刀魚の歌」 歌碑

歌碑近影
[参考書]
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