<コース>
【往路】紀伊勝浦駅(6:45) → (熊野バス) → 那智山(7:11)
那智山 → 徒歩5分 → 青岸渡寺 → 熊野那智大社 → 徒歩10分 → 飛瀧神社 → 那智山(9:02) → (熊野バス) → 那智駅(9:19) → 徒歩3分 → 補陀落山寺 → JR那智駅(10:00) → JR紀伊天満(10:02) → 徒歩15分 → 勝浦漁港 → 徒歩5分 → JR紀伊勝浦
【復路】JR紀伊勝浦(12:09) → JR串本(12:46) → 徒歩10分 → 無量寺 → JR串本駅(14:01) → JR周参見(14:45→14:53) → (くろしお26号) → JR天王寺(17:33)

御縣彦社(熊野那智大社 摂社)
那智大社本殿の直ぐ手前に鎮座ましますのが御縣彦社。
御縣彦社(みあがたひこしゃ)は、
『八咫烏(やたがらす)の化身とされる賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)を御祭神とする。
八咫烏は神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)を熊野の地から大和橿原まで
道案内したとされる鳥で、熊野の神の使いとされる。命はナガスネヒコを破り神武天皇として即位、
道案内を終えた八咫烏は熊野の地へ戻り、当社で石に姿を変え休んでいると言われ、
それが玉垣前の烏石である。
御祭神の八咫烏は導きの神様として、願い事を成就に導く御利益があるとして崇敬を集めている。
日本サッカー協会のシンボルマークには八咫烏が使われているが、これはその御利益に加えて、
日本サッカーの生みの親である中村覚之助氏が那智勝浦町出身である事から選定されたと言われる。』
とあります。

門前の柱の頂きに止まる八咫烏の像

御由緒
六つの社殿と鈴門以外では、境内唯一の重要文化財。唯、社殿の再建が嘉永7年(1854年)なのに対し、
こちらは慶応3年(1867年)と少し時代は下りますが…。
それにしても烏を祀る社というもの珍しいですが、八咫烏はイワレヒコを大和まで導き
神武天皇として即位させた功労者(鳥)。皇室の始祖だけに祀られて当然と言えます。
唯、現実的には烏が道案内するとは考え難いので、これはイワレヒコを道案内した
この地方の豪族を仮託したものと考えるのが普通。

神門に架けられた那智大社の神紋

門の向こうに建つ御懸彦社本殿
熊野から大和までは山を越えた様に 『古事記』 には記されていますが、熊野三山がいずれも
水に関わりは深い事、本宮・速玉大社が熊野川に面している事などから、
熊野川を遡上して大和へ入り、洞川から山を越えて吉野川に至ったと考えています。
古事記でもイワレヒコは日向の美々津から船で畿内へ向かっていますから。
そうなると何故カラスなのか、川なら鵜の方が相応しいのでは、
と地図を見ると熊野川を渡った場所の地名は鵜殿でした。
あくまで素人の勝手な想像ですが、そんなルートも【ありの】熊野詣でしょうか?

御懸彦社御朱印
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