<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:00) → JR姫路(7:30→7:31) → JR備中高梁(10:13)
備中高梁駅前 → 徒歩5分 → 郷土資料館・安正寺 → 紺屋川筋 → 商家資料館 → 石火矢町ふるさと村・武家屋敷 → 頼久寺 → 寿覚院 → 薬師院 → 松連寺 → 備中高梁駅前
【復路】備中高梁(13:51) → JR岡山(14:56→15:11) → JR相生(16:16→16:18) → JR姫路(16:39→16:42) → JR大阪(17:43)

東向山 松連寺(真言宗御室派)
薬師院の後は、直ぐ南に隣接する松連寺へ。
備中高梁駅の東方、愛宕山の麓に建ち、未だ南には寺院がありますが、
頼久寺から南北にほぼ1㎞続いた寺町もここが終点。寺町通りから来ると左程感じませんが、
駅から寺を遠望すると城郭そっくりなその異様な偉容に圧倒されます。

寺号標の脇から石段を登る

石段の正面には本堂が見える筈だが…
東向山松連寺(とうこうざんしょうれんいん)は、
『真言宗御室派の中本寺で、大日如来を本尊とする。現在の寺は明暦3年(1657年)、
備中松山藩主・水谷伊勢守勝隆に拠り市内奥万田より移築されたものである。
武家諸法度で城の新築は禁止され修理も難しい時代に、松山城の砦として築いた事は
城郭造りそのままの石垣が良く物語っている。

石段途中からの眺め

石段を登った先に建つ山門

山門前から城下を眺める
中央にJR備中高梁駅が見える。
本堂右に建つのは観音堂。文禄元年(1592年)の秀吉の第一次朝鮮出兵(文禄の役)では、
岡山藩主・宇喜多秀家を総督として安宅船で渡海するに際し、
当寺の宥海法印を釜山浦へ従軍させ戦勝祈願を行った。
凱旋の後、宥海の功績を賞し33体の観音像を彫刻。観音堂を建立しそこに祀った。
建立に際し御座船の格天井と船戸数枚、寺領100石を寄進している。格天井と船戸は珍しい品で、
桃山時代の優秀作品として県指定重要文化財となっている。』 とあります。

宝篋印塔の向こうに見えるのが観音堂

観音堂近影
かなり傷みが激しく、拝観は無理な様子。

山門を過ぎた場所に建つ宝篋印塔
奥には寺務所が。
薬師院も立派ですが当寺は更に上手。頑丈な石組の高い石垣、
石垣上部の白壁ラインが強烈に眼前に迫って来ます。
寺院ではありますが出城の役割を持ち、有事の際には城下を護る砦に転じる様に
設計されていると聞き納得できました。
言ってみれば城下を守る最後の砦ですが、いざ訪れてみると本堂は覆いが掛けられ修復中。
観音堂も痛みが激しく参拝できない状態でした。

覆いが掛けられ修復中の本堂

本堂と塀の間にあるのは経蔵か?

駐車場から見た松連寺全景
境内を見回しても無住ではなさそうですが、事務所入り口手前には草が茂っており、
手入れもされていない様子。もしかすると他寺院との掛け持ちなのかもしれません。
歴史ある寺院としてはここが【松連】時と言えそうです。

山門正面にあるのが寺務所の筈

書院玄関?

寺務所前の草木も伸び放題

かつて拝受した判子の御朱印
こうして炎天下の巡礼も無事?終了。駅の周辺に散らばっているとはいえ、
みな徒歩圏内で3時間足らずで拝観することができました。
1時間毎の電車は50分後なので、駅ビルで冷やしフォーを食べた後は+¥100でヨーグルトを。
昼飯後にも拘らず【ひるぜん】牛乳での〆でした。

備中高梁駅1階の「高梁ほっとカフェ」 にて冷やしフォーの昼食
残念な事に8月18日で営業終了でした。

〆はヨーグルト
[参考書]
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