<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR金山(9:20→9:28) → JR大曾根(9:37)
大曾根(9:46) → (名鉄瀬戸線) → 尾張瀬戸(10:11→10:38) → (名鉄・愛環) → 三好ヶ丘(11:32→11:49) → 知立(12:25) → 徒歩5分 → 池鯉鮒宿 → 徒歩5分 → 知立神社 → 知立(13:24) → 西尾(14:00→14:30) → 南安城(14:44) → JR安城(15:28) → JR新居町(16:19→16:57)
【復路】JR新居町(17:16) → JR米原(19:39→19:54) → JR大阪(21:17)

池鯉鮒宿(東海道五十三次三十九番宿)
7月最後の土曜は2回目の18きっぷで大河ドラマも佳境に入った三河へ。春の青春18きっぷが終了して以降、
① 4月28日に第19弾
② 7月28日に第20弾
と二度もMHC発行があったのがその理由。近畿ならば問題ありませんが、東海以東や中国以西は
18きっぷを使用するとしないで交通費が大きく異なるのがその理由。
なくても別段「どうする」ものでもありませんが、入手しないと何となく喉に小骨が刺さった感じ。
一般にはこう言うのを「病膏肓に入る」と言うのでしょうが、この場合はマンホールだけに
「ドツボにはまる」 方が適切です。

知立市マンホール蓋 その1

知立市マンホール蓋 その2

知立市マンホールカード 第20弾
駅北側の「観光交流センター」 にて配布。
といってもMHC収集だけではつまらんので知立神社に参拝すべく名鉄知立駅で下車。
江戸時代の東海道は現在の東海道線に引き継がれていますが、御油から鳴海までは
東海道本線ではなく名鉄本線沿い。
途中遊郭が多かったから国鉄は鉄道誘致を避けたとまことしやかに言われていますが、
勾配がきつかったのが原因のようです。
普通なら在来線+名鉄で10時前には着きますが、この日はJR・名鉄・愛環を乗り継いで
瀬戸・三好ヶ丘に寄った後なので、着いたのは12時過ぎでした。

東海道沿いに建つ 「都築屋菓子舗」
交流センターの向かいにあり、看板の池鯉鮒の文字に時代が感じられる。

東海道沿いにある本町山車蔵
『池鯉鮒宿は江戸日本橋から数えて39番目の宿場町。かきつばたの名勝八橋と、
にぎやかな市場で知られた。
江戸時代の池鯉鮒は三河木綿の集積地となり木綿市が活況を呈し、
更にその木綿を運ぶ馬も取引されるようになった。
今も宿場手前の新田北交差点から始まる松並木は側道にあることが特徴であるが、
馬市の時に馬を繋ぐために設けられ、多い時には400頭も繋がれていたという。
その松並木周辺で開かれた馬市には、地元の馬は勿論、甲斐や信濃の荒馬も集まり、
商人や見物客でごった返した。その盛大さは歌川廣重の絵にも描かれている。

山車蔵の向かいにある日本料理・懐石割烹 「岐阜屋」

重厚さを感じる岐阜屋」の門

重厚な割にお昼の値段はりーずなぶる
駅近く東海道からは少し外れた場所には本陣跡が建つ。池鯉鮒には本陣・脇本陣が1軒ずつ置かれ、
当初は嶺家が勤め、寛文7年(1667年)頃からは永田家に引き継がれた。
敷地3千坪、建坪3百坪と広大な規模を有したが、明治に入り宿駅制度が廃止され、
明治8年(1875年)には200年以上続いた本陣も取り壊され今は跡だけが残る。

東海道から一筋南に建つ池鯉鮒宿本陣跡
街道左手には知立古城跡が残る。知立城は知立神社の神官であった永見氏の居城であったが、
桶狭間合戦の後、織田軍に拠り落城。その後、刈谷城主水野忠重が御屋形を建て信長を迎えたとされる。
江戸時代初期には将軍が上洛する際の旅舎として使用された。
敷地規模は街道に面して南北32間(58m)、東西57間(103m)、建物は堀切のようなもので区画されていたと伝わる。
御殿は元禄年間から宝永年間(1688~1711年)に地震に拠り倒壊し再建されなかった。
明治になって明治天皇がここで小休止されたという碑が建つ。現在は公園として開放されている。』
とあります。

知立古城址

江戸時代に描かれた御殿と神社

御殿址の石碑が建つ

明治天皇御小休止所址の石碑も建つ
知立は4年前の2019年5月10日に訪問済ですが、その時は二駅豊田寄りの三河八橋で下車して
無量壽寺のカキツバタ(杜若)を鑑賞。神社の存在は知っていましたが、知立駅は周辺をほんの少し歩いた程度。
「きっとまた来る事が絶対ある!」と確信しての事でしたが、こんなに早く実現するとは流石に予想外でした。
東海道の宿場の内、池鯉鮒には個人的に思い入れがあって、一つはどう見ても読めそうにない池鯉鮒の漢字。
今一つは五十三次の中で唯一動物が主に描かれている作品という事で印象に残っています。
名鉄を名古屋方面に向かうと中京競馬場がありますが、知立の馬市の名残でしょうかね?

歌川廣重 東海道五十三次 「池鯉鮒 馬市」 (保永堂版)
東海道の55枚の作品を見ると当時の人々の生活が伺えるものが殆どで、それが浮世絵と呼ばれる所以。
名所旧跡は余りないのは彼にとっては二の次だったからでしょう。
東海道の街並みといえば少し京都寄りの有松が有名ですが、現在の知立は所々に
宿場の街並みや古戦場跡が残る町。MHCがなければ半日くらいは観光したに違いありません。

街道沿いの了運寺の坂を下り神社へ

了運寺の向かいにある元祖あんまき小松屋本家

知立駅で購入した土産の餡巻

抹茶餡と夏季限定レモンカスタード
かつては黒あんと白あんだけであったが、今は様々なバージョンがある。
参拝も足早に終えて再び鉄路へ。西尾・安城を経て最終的には静岡新居関所で6枚目無事ゲット。
16時半の閉館間際でしたが、閉まりそうな時は、鳥の鳴きまねをする所でした。
帰りは豊橋から新快速で米原乗換で大阪に21時着。土産は三河のお決まりのヤマサのちくわと餡巻。
この地域では花火も手筒花火なので、細長く巻いたものが好きな土地柄なのでしょう。
殆ど電車に乗った一日でしたが、駅近の配布場所まで歩いたので、結構な筋肉痛に。
餡巻に加えて【按摩機】も必要になりそうです。これも【三河出た錆】と言わればそれまでですが…。

この日の収穫6枚
(上) 第20弾 (下) 第19弾

ヤマサのちくわは豊橋駅で購入
[参考書]
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