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神應寺 (京都府八幡市八幡西高坊) <神應寺 其の壱>

2023.09.07(21:23) 1580

男山にておうじを偲ぶ(2023.7.30)

<コース> 南海電鉄・京阪電鉄は日中10~15分間隔で運転
【往路】なんば → (南海電鉄急行) → 岸和田 → 徒歩10分 → 岸和田漁港 → 岸和田 → 堺 → 徒歩20分 → 堺東 → 大阪狭山 → 徒歩10分 → 狭山池博物館 → 大阪狭山 → 中百舌鳥 → (御堂筋線) → 淀屋橋 → (京阪特急) → 樟葉 → (普通) → 石清水八幡宮

石清水八幡宮駅 → 徒歩5分 → 飛行神社 → 徒歩5分 → 神應寺 → 杉山谷不動尊 → 徒歩10分 → らくがき寺

【復路】石清水八幡宮 → 樟葉 → 淀屋橋

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絲杉山 神應寺(曹洞宗)

 京阪電鉄石清水八幡宮駅から南へ向かうと一の鳥居の向こうに岩清水八幡宮の御旅所である頓宮が控えます。

何故か山に登る人は多かったけれど鳥居があったので、ここで参拝して帰ったら、兼好法師の『仁和寺の法師』。

八幡宮への参拝は日を改めて、この日は石の道標に従い右手奥にある寺院へ。

石清水八幡宮の門前ではありますが、周囲の繁栄とは裏腹に民家の軒を分け入った先に堅牢な山門があり、

更にそこから登る百六十余段の石段は、木立と静寂の中に射干を見ながら庫裏に至るという造りになっています。

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頓宮前の道標に従って右へ

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細い道を進むと山門前に出る

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階段下より見上げた山門

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山門に続く百六十余段の石段

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石段途中から山門を振り返る
両側には射干(シャガ)が。

 絲杉山神應寺(ししんざんじんのうじ)は、

『貞観2年(860年)、八幡神を宇佐より男山に勧請した僧行教に拠り、應神天皇の位牌所として開創。

行教は奈良大安寺の僧で、石清水八幡宮を建立したことから建立大師の宣下を受けた。

当初は神應と称し法相・天台真言密教を弘通する四宗兼学の道場であったが、

室町時代に曹洞宗に改宗し現在に至る。

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石段を登った先から見た境内

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参道左には鐘楼が建つ
この右側の道を行くと奥の院に至る。

 本堂には本尊の薬師三尊像に加え豊臣秀吉の木像を安置する。当寺の中興二世・弓筬善疆(きゅうしんぜんきょう)は

豊臣秀吉と同郷で、正室北政所が帰依。天正17年(1589年)には秀吉から寺領120石が給され、

文禄元年(1592年)の朝鮮出兵時には善疆が肥前名護屋へ出陣見舞いに訪れている。

秀頼の時代には衣冠束帯した秀吉の木像を安置するなど当寺を擁護した。

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正面より見た本堂
但し、今回は外陣より参拝のみ。

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参道手前には 「淀君茶室の庭石」 が鎮座

 徳川時代になると家康始め歴代の将軍から寺領が安堵され、八幡宮領内や近隣に末寺数ヶ寺を組織した。

当時の古文書が現存しているほか、寺紋には豊臣家の太閤桐と徳川家の三つ葉葵と両家の家紋使用を

認められていた。

第十九世・廓翁鉤然(かくおうこんねん)は大奥総女中頭・右衛門佐局の支援を受け、

将軍綱吉と御台所より袈裟を賜り、各地を勧進行脚して寺観を整えた。

元禄13年(1700年)には多くの雲水が毎年修行する常法幢地の寺格を得て洛南有数の禅苑となった。

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本堂前からの眺め
百日紅の奥に建つのが庫裏。

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庫裏の前に置かれた陶器製の卓と椅子

 明治の神仏分離では男山の仏教施設は悉く破却されたが、八幡宮三の鳥居付近の堂に祀られていた

行教像は紀中津御祖神と改称して難を免れ、明治6年(1873年)に墓所のある当寺に戻った。

現在は開山堂に祀られ平安初期の彫刻として国の重要文化財に指定されている。

奥の院杉山谷不動堂にある矜羯羅(こんがら)童子と制多迦(せいたか)童子立像は

14世紀後半作の等身大の貴重なものである。

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庫裏の前の天然の庭

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庫裏玄関前の池

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間近で見た池

 境内には江戸初期に活躍した大坂の豪商・淀屋辰五郎を始め徳川家の夫人右衛門佐、

淀城主・永井公とその家老一族、模型飛行機の元祖・二宮忠八の墓がある。

更に細密写生主義を貫き丸山派から脱皮して独自の画風を確立した長澤蘆雪の墓もある。

 書院は伏見城の遺構を移築したもので、八幡市域では現存最古の書院建築である。

上段の間に違い棚を設け、金具には太閤桐、襖・杉戸には狩野山雪の筆に拠る

「竹に虎」「御所車」「瀑布図」が描かれている。また鰐口には元弘2年(1332年)の銘がある。

書院縁側から京都・宇治・淀川に向けた眺望は絶景と称され、秋には色鮮やかな紅葉が

幻想的風景を映し出す。』 とあります。

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神應寺説明書

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神應寺御朱印

 場所柄、石清水八幡宮の神宮寺という扱いで、そのため神應寺と名付けられたと思っていましたが、

應神天皇に由来するもののよう。文字をひっくり返したのは天皇への敬意でしょうか?

 歴代の天下人から崇敬を受け、明治の廃仏毀釈でも廃寺とならなかったようですが、

昭和11年の山津波が痛手だったのでしょう。堂宇全体も新しい雰囲気で本堂は外陣のみ。

それに続く座禅堂や寺子屋も現在は使用されている様子はありませんでした。

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本堂に続く座禅堂

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庭の奥には旧寺子屋が

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寺子屋の前面
奥に続くのは座禅堂で、更に奥には本堂が建つ。

 御朱印を拝受するため事務所へ向かいましたが、対応下さった住職夫人の話では、

一般公開は秋の法要の時期だけだそう。名刹の割に参拝者が少ないのはそんな事情もあるのでしょう。

と思っていたら説明書には¥500で拝観可能との記載が。但し要事前予約でした。

こうなると行き当たりばったりで来たのを【後悔】する事頻り。周辺は紅葉も多いので

次は是非秋に参拝して境内や書院で目の【ほうよう】をしたいものです。

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境内には豊川稲荷社も

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日陰には未だ紫陽花も

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