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らくがき寺 (京都府八幡市八幡吉野)

2023.09.09(23:37) 1582

落書き、楽書き、洛書き(2023.7.30)

<コース> 南海電鉄・京阪電鉄は日中10~15分間隔で運転

【往路】なんば → (南海電鉄急行) → 岸和田 → 徒歩10分 → 岸和田漁港 → 岸和田 → 堺 → 徒歩20分 → 堺東 → 大阪狭山 → 徒歩10分 → 狭山池博物館 → 大阪狭山 → 中百舌鳥 → (御堂筋線) → 淀屋橋 → (京阪特急) → 樟葉 → (普通) → 石清水八幡宮

石清水八幡宮駅 → 徒歩5分 → 飛行神社 → 徒歩5分 → 神應寺 → 杉山谷不動尊 → 徒歩10分 → らくがき寺

【復路】石清水八幡宮 → 樟葉 → 淀屋橋

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単伝庵(臨済宗妙心寺派)

 男山の寺院拝観後は再び放生(ほうじょう)川を渡り 「らくがき寺」へ。

途中、松花堂昭乗の歌碑や後村上天皇の行在宮跡の碑が建ちます。

南北朝動乱期に後村上天皇はこの地に行在所を構えて、足利尊氏・直義兄弟の内紛で一時期

京の都を奪回しますが、尊氏の息子の義詮の軍に攻められここから退いたとか。

山城と河内の国境ではありますが、このような歴史を見ると都の影響を直接被っているようでした。

その後、5分歩いて寺院へ到着。正式には西門が正門のようですが、碑を見ながら【来たもん】で、

北門から境内へ。後門というよりも小学校の校門の様な雰囲気でした。

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詠み人知らずの句碑

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後村上天皇行宮址碑

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住宅地の奥に建つ西門が正門

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西門近影

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こちらが裏手にある北門
左手には市街地へ向かう道路が走る。

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北門脇の 「らくがき寺」 石碑
小学校の校門の

『単伝庵の起源は不明であるが、現存する記録に拠ると正徳元年(1711年)、臨済宗妙心寺派の僧侶である瑞応が

人々の不慮の災難を救う事を発願。怪我除け・厄除けの救苦観音を安置し祈祷修繕したのが再建の経緯。

単伝とは瑞応が単伝和尚と呼ばれた事に由来する。

 その後、何度か移転を繰り返し20世紀初頭には荒廃していたが、地域からの支援と寄進に拠り

昭和32年(1952年)に現在の地へ復興した。

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北門からの眺め
正面は茶室、右は庫裏。

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参道から北門を振り返る
右に建つのは豊川稲荷社。

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正面から見た茶室

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茶室脇の参道を抜け本堂へ

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茶室と道路の間に挟まれた内庭

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参道左手に建つのが大黒堂

 境内には本尊の釈迦牟尼仏、江戸時代から伝わる観世音菩薩を祀る本堂に加え、地蔵堂、大黒堂が建つ。

大黒堂に祀られている大黒天は南北朝時代、石清水八幡宮の改築に際して、楠木正成が武運長久を祈願して

寄進した楠の残り株から刻まれたと伝えられる。足を前に踏み出したその姿から「走り大黒」と呼ばれ、

開運・福徳円満を授ける神として信仰されている。

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正面から見た大黒堂

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大黒堂内陣の諸仏

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想像していたよりも小さい御本尊の 「走り大黒天」

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左側にある仏像奥の壁に書かれた落書き群

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こちらは右側の壁

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大黒堂前からの眺め
正面が西門。

 再建に寄付をしてくれた人々の願いが叶うようにと、60年ほど前から大黒堂の白壁に

自身の願いを落書きし、祈願を成就する事が始められた。

大黒天に願い事を見て貰うようにするためであり、絵馬の役割も果たしていると言う。

今では「らくがき寺」として知られるようになっている。』 とあります。

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大黒堂から右に見える庫裏・書院

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庫裏玄関近影

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御朱印をお願いするため玄関に入る

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単伝庵説明書

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単伝庵御朱印

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庫裏玄関前から大黒堂を望む

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玄関前から西門を望む
手前の十三重石塔と大銀杏が映える。

 このように記されたものは、書き手の希望か不満かどちらかに向かうのが常ですが、当寺は前者。

似た言葉に落首がありますが、これは主に大衆が世間を風刺したもので後者に相当でしょうか?

現在は否定的に捉えられ勝ちな落書きですが、歴史的を経て残ったものは当時の世相を知る貴重な史料。

単に人に伝えるだけの内容ではないようです。

本来、両者は同じルーツの筈ですが、長い年月の間に格差がついてしまったのでしょう。

御朱印を拝受する際、「落書きの様なものだったらどうしよう。」と不安になりましたが、流石にそれはなし。

大黒天の走り書きという、落ちのない「らくがき寺」参拝となりました。

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大黒堂と手前の石碑

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石碑近影
句碑と言うよりも落書きの案内か?

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南側の塀添いの岩と植木

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西門前の地蔵堂

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祀られているのは道祖神のようなペアのお地蔵様

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西門から見た境内

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