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養老神社 (岐阜県養老郡養老町養老公園)

2023.09.15(20:27) 1588

美容にきく水(2023.8.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36)

大垣駅(9:08) → (養老鉄道) → 養老(9:30) → (レンタサイクル10分) → 養老寺 → 徒歩15分 → 養老神社 → 徒歩15分 → 養老の滝 → 徒歩30分 → 養老寺 → (レンタサイクル5分) → 大菩提寺 → (レンタサイクル50分) → 道の駅 月見の里 → (レンタサイクル10分) → 徒歩10分 → 行基寺 → (レンタサイクル10分) → 駒野駅

【復路】駒野(15:16) → 大垣(15:53→16:04) → JR米原(16:39→16:47) → JR大阪(18:13)

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養老神社(元郷社)
こちらが正面。

 順序は逆になりましたが、養老の滝に参拝した後、坂を下って神社へ参拝。

本来ならば、孝子坂から右手に入り、社号標脇の石段を登り境内へ向かいますが、

今回は脇の小さな鳥居を潜りいきなり拝殿横へ。

入口には手水鉢が置かれていましたが、水は瓢箪の形の蛇口から湧出。

養老ならではと言えます。

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孝子坂にある案内板

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滝からの帰路、渓流を見下ろす
手前にあるのは射干。

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脇から小さな鳥居を潜る

 養老神社は

『養老孝子伝説の源丞内所縁の神社とされ、創建時期は不明であるが奈良時代の養老年間以降と推測。

平安時代の美濃国神明帳には養老明神として記載されている。

永正元年(1504年)には菅原道真を合祀し、養老天神に改称。更に時代は下って明治初期には

近くの元正天皇・聖武天皇祭場を移転して合祀。その際、養老神社に改称している。

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鳥居手前の手水鉢
瓢箪から駒ならぬ水。

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手水鉢横の石碑は神職の作か

 元正天皇の美濃行幸と醴泉については

「私は美濃国の行宮に至り留まる事数日、多藝郡の多度山の美泉(うましいずみ)を見て自ら手を洗うと

皮膚滑らかになる、また痛い所を洗うと癒えない事はなかった。

私の身にはこのような験が起こったが、この水を飲んで浴する者は白髪は黒く、

禿頭には毛が生じ、眼は明るく見えるようになり、疾患は悉く平癒した。

 私は、後漢の光武帝の時に醴泉が出て、これを飲む者は皆痼疾が癒えたと聞いている。

この醴泉は美泉で恐らくは水の精なのであろう。これに拠って老を養え。

まことにこの醴泉は瑞祥であって、天下に大赦して霊亀3年を改め養老元年とすべし。」

と『続日本紀』には記事が伝わる。

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正面から更に階段を上ると拝殿がお出迎え

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参道脇の杉の巨木は御神木か?

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正面より見た拝殿

 当時の記録から元正女帝の足跡を辿ると、717年9月11日に平城京を出発され、

近江国を経て同17日に西美濃へ到着。養老の美泉を御覧になって大変喜ばれた天皇は、

同年11月17日に詔を出し元号を霊亀から養老へ改めた、となる。

 元正天皇が浴された美泉は当社境内に湧出し、天皇が訪れた際に、その泉から菊の香りがした事から

菊水泉と呼ばれるようになった。

孝子源丞内が老父に飲ませたのも、滝ではなく境内から湧くこの水であったと言われる。

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拝殿近影

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拝殿の屋根

 昭和60年7月には環境庁より「養老の滝、菊水泉」が名水百選の指定を受けた。

毎年、春分の日には、孝子・源丞内に扮した女性二人が泉の水を汲み取る

神事「若水取り」が執り行われる。』 とあります。

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(右から) 拝殿に続く幣殿と本殿 

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覆いの内に鎮座する本殿

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本殿近影

 その名称からも立地条件から見ても、当社が滝を御神体として祀る神社として創建されたのは明らか。

孝子の酒伝説も、一般には滝の水と言われていますが、ここ菊水泉からのものと考える方が

無理が少ないと言えます。

現在は管轄が異なりますが、昔は滝も泉も一連の物として扱っていたので、滝伝説に置き換えられたのでしょう。

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拝殿から一段下がった場所に湧く醴泉

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菊水泉の前にて

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醴泉の由緒記

 元正天皇の行幸は、てっきり伝説かと思いましたが、詳細な日付の記録も残っており事実のよう。

そうなるとここの泉に身体や患部を浸したというのも俄然現実味を帯びて来ます。

菊水と言う呼び名も皇室に所縁がありそうですが、菊の御紋が皇室を表すようになったのは

遥か時代は下って後鳥羽天皇の時代なので、ここでは無関係。

菊の香りがしたかどうかは定かではありませんが、身体に【効く水】が菊水に変化したのでしょうか?

 『続日本紀』には元正天皇の御言葉が記されていますが、いくら古代とはいえ、

このような【現象】はやや【誇大】広告。

しかし、美貌の女帝として知られた元正天皇の言葉であったからこそ、人々は争って醴泉を求めたとも言えます。

言ってみればモデルですが、それだけ古代の天皇の業務は【多岐にわたって】いたのでしょう。

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今も湧き続ける菊水醴泉

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醴泉の水はやがて渓流へと合流する
ここならば汲むのも楽である。

 境内には滝と同様に、岡山藩の儒者であった近藤篤の養老泉の詩碑の他、笠満誓の万葉歌碑も

沙弥満誓(しゃみまんせい)の名で建立されています。万葉集の歌の内容は養老とは直接の関係はなく不思議でしたが、

笠満誓は美濃守を務めた笠朝臣麻呂の事で、在任中に元正天皇の養老行幸と養老改元を実現させた人物、

満誓は出家後の名でした。出家後は、筑紫歌壇で大友旅人や山上憶良と共に活躍した歌人でもありました。

言ってみれば今に至る養老の大恩人でもある訳で、もっと注目されて然るべき人物の様に思います。

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近藤篤に拠る養老泉碑

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碑の解説

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細川十州に拠る美泉詩碑 (七言絶句)

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詩碑解説

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本殿の脇には萬葉歌人・笠満誓の歌碑が建つ

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歌碑解説

 このように歴史を誇る養老神社も今は無住、辛うじて参道の売店で御朱印を扱うのみでした。

養老神社もそうですが、奈良時代から続いた社寺に吹く風は【まんせいてきに】厳しいものがある様子でした。

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養老神社御朱印
孝子坂途中の土産店で購入。

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