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浦佐の毘沙門さま 毘沙門堂 (新潟県南魚沼市浦佐) <普光寺 其の参>

2023.09.24(13:44) 1597

毘沙門堂へと続く回廊(2023.8.16)

<コース>
JR新大阪(6:00) → (のぞみ200) → JR東京(8:23→8:52) → (とき309号) → JR浦佐(10:32)

浦佐駅 → 徒歩5分 → 普光寺 → JR浦佐(11:04)

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吉祥山 多門院 普光寺(真言宗豊山派)  毘沙門堂

 山門を拝観したあとは、いよいよ目的の毘沙門堂へ。

山門からは参道ならぬ屋根付きの回廊が続いていますが、豪雪に対する配慮でしょうか?

 お堂へは回廊途中で右折しなければなりませんが、そのまま直進すると正面には不動明王が鎮座。

毘沙門様に先立ってこちらへお参り。

『当山の不動明王は石像仏としては日本最大と言われており、明治初年に六日町の石工富八郎に拠り作製。

うがい鉢は当地大崎の坊谷山産出の大石を刳り貫いて作られた。

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山門から毘沙門堂まで続く回廊

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回廊の途中から山門を見る

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回廊を直進した場所に鎮座する不動明王石像

 右折する左側に建つのは古山門、江戸初期の高田城主松平越後守が修造したと伝わる。

元来、現在の山門(仁王門)の位置にあったが仁王門が新たに建立されるに当たり、

文政9年(1826年)にこの場所に移築。中央に聖徳太子、左右に白山権現・蚕天尊、

お堂に向かい左右には大黒天・愛染明王が祀られている事から太子堂と呼び習わされている。

長年の傷みに拠り屋根にトタン工事が施された他は、ほぼ当時の原形を留めて居り、

毘沙門堂境内に残る最古のお堂である。』 とあります。

境内最古の建造物がこのような形で残されているとは普通なら見落とす所でした。

その脇には欅の巨木が二本聳えますが、御神木でしょうか?

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回廊の曲がり角に立つ古山門(太子堂)

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太子堂前にて

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太子堂を囲む様に聳える欅の巨木

 古山門の正面に建つのが毘沙門堂。

『毘沙門堂は、大同2年(807年)平城天皇の御代、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐の折、

国家鎮護の為に建立。インドの仏工・毘首羯麿作とされる本尊毘沙門天を奉祀したのが草創と言われる。

承久3年(1221年)鎌倉幕府は地頭・平繁基をして堂領を献じ、道乗坊弁覚を毘沙門堂別当に任じた。

これに拠って付近一帯は「永代伐木殺生禁断地」と定められ、毘沙門堂の威徳は高まる。

永徳2年(1382年)には八名の武将が毘沙門堂造営のために田を寄進したという古文書が残っており、

室町前期には各地の武将・豪族が競って田地を寄進。

その結果、桁行五間・梁間五間・入母屋造・茅葺の壮大な伽藍が建立されたと言われる。

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回廊を右折し毘沙門堂へ向かう

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毘沙門堂向拝前にて (内陣は撮影禁止)

 戦国時代に入ると上杉謙信や景勝が当寺を訪れ、彼らの文書が残されている。

江戸時代には坂戸城主堀丹後守直寄が30石を寄進、従前と合わせ50石を領した。

慶安年間には三代将軍家光から御朱印50石・10万石の格式で遇され、緒役免除の特典も得た。

八代将軍吉宗以後は堂宇の修復は魚沼全郡に公課できることとなり明治維新まで続いた。

江戸時代には古義真言宗(醍醐派)に属していたが、明治に入ると新義真言宗(豊山派)に改宗している。

大正6年(1917年)に国の特別保護建造物に指定された毘沙門堂は、昭和6年(1931年)に火災のため焼失。

その後、5年の歳月を費やして再建されたのが現在に残る毘沙門堂である。

設計は当時の日本建築界の重鎮伊東忠太が担当した。

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回廊入口から毘沙門堂を遠望

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毘沙門堂全景
回廊があるためお堂の全景が撮れる場所は少ない。

 毘沙門堂が多くの人で賑わうのが毎年三月の第一土曜に開催される「裸押合い大祭」。

日本三大奇祭の一つに数えられる。春を待ちわびた雪国の人々の熱気が伝わるこの祭りの由緒は古い。

江戸時代の記録では、正月三日、近くの村々から老若男女が立願のため、男は裸、

女は単(ひとえ)或いは袷(あわせ)を着て集まり、稲刈りの姿をして踊っては左右に分かれて押し合う。

これを「一踊り一押し」と言い7回繰り返す。

5回目の時、酒を堂上に注ぎ、7回目が終わると肩車に乗りささらをすりながら歌う。

この時、童子は堂にぎっしり立つ人々の頭の上を踏んで縦横に歩き回ったという。

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堂前に掲げられた 「多聞天王」 の扁額

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向拝下にて
正面に建つのが不動明王を祀る祠。

 現在は近郷から奉納された30~50㎏の巨大蝋燭が照らす中を、不動尊前のうがい鉢の湧水で

身を清めた褌一つの男衆が堂内に入り、「サンヨ、サンヨ」の掛け声で激しく押合う。

この間に年男が人馬に乗って現れ、櫓に登って群衆に福盃を撒く。

これを拾えば幸運を得られるという五穀豊穣を願う奇祭。「堂押し」とも呼ばれ、

押し合う信者の熱気溢れる祭りは古式そのままの祭事として、

国の重要無形民俗文化財に指定されている。』 とあります。

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「裸押し合い大祭」 の写真  (説明書より)

 境内では先述した山門と並ぶ壮麗な建造物で間違いなく江戸時代以前の建築と信じていましたが、

それが昭和一桁の建築で未だ百年に至っていないとは驚きでした。

そんな新築を感じさせないのはさすが近代建築の巨匠と言えます。

尤も、積雪のために劣化が早いことは考えられますが…。

火災の原因について説明はありませんでしたが、奇祭のロウソクの火の不始末だけはあって欲しくありません。

銀杏を筆頭に樹木は延焼を防ぐ効果がありますが、境内には古山門脇にある欅の巨木が目立つくらい。

その意味でも今以上に樹木を増やしてほしいもの。越後の樹木は【植え過ぎ】くらいが丁度良いでしょう。

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浦佐 毘沙門堂 説明書

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御朱印 (毘沙門堂)

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