<コース>
JR新大阪(6:00) → (のぞみ200) → JR東京(8:23→8:52) → (とき309号) → JR浦佐(10:32)
浦佐駅 → 徒歩5分 → 普光寺 → JR浦佐(11:04)

吉祥山 多門院 普光寺(真言宗豊山派)
毘沙門堂前から本堂と庫裏を望む。
毘沙門堂から境内の建物はいずれも回廊で繋がっています。
本堂外陣の縁側から右に連なった回廊を進むと、白壁・赤いトタン屋根の建物と続きます。
『本堂に続く白壁の建造物は別行殿(宝物殿)。中央には運慶作と伝わる真言教主大日如来を安置し、
その四隅には東西南北の方角を護持する四天王像を配置。作者・製作年代不詳の四天王は
仏教の守護神である持国天・増長天・広目天・多聞天から成り、立体曼荼羅を形成する。
いずれも甲冑を身に着け武器を持つ。頭部にある兜飾りは希少である。
単独で祀られる時には多聞天は毘沙門天の名で呼ばれる。

毘沙門堂から右手へ続く回廊

白壁が映える別行殿(宝物殿)
別行殿に続く赤いトタン屋根の建物は普光寺本堂。承久3年(1221年)鎌倉幕府将軍・源実朝が
地頭・平繁基をして毘沙門堂に堂領を献ずると共に、僧道乗坊辨覚を天王堂 (毘沙門堂) 別当に任じ、
浦佐川西地区に境を定め「永代伐木殺生禁断」の令を下した。
辨覚はこの令を広まるため、また寺務執行のため、この地に大伽藍を建立。これが普光寺の創始と言われる。
慶長年間に火災に拠り普光寺が焼失、二十世賢弘和尚が延宝8年(1680年)4月、
檀信徒の協力を得て再建したのが現在の普光寺である。』 とあります。

本堂全景

本堂前から見た毘沙門堂側面

お堂の前は盆踊りの準備中
浦佐の毘沙門様で知られる当寺ですが、寺の本堂はこちらで大日御如来が御本尊。
しかし由緒記に拠れば、平安初期に建立された毘沙門堂の別当寺として
鎌倉初期に出来たのが普光寺なので、時代的には400年も後。
加えて「裸押し合い祭」が開催されることで、対外的には毘沙門堂が前面に出るのでしょうが、
本堂も江戸時代17世紀末の建立。毘沙門堂が火災によって昭和の再建となった現在では、
歴史的建造物の資格は十分に思えます。
唯、本堂は観光客の拝観はしていない様子。本堂前の境内には盆踊りのライトが準備されていましたが、
あくまで地元の方々の寺院を全面に出しているのでしょう。

回廊脇の鐘楼

御朱印 (普光寺御本尊)

同時に頂いた越後新四国八十八ヵ所霊場の御札
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