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タイトル画像

青の洞門 (大分県中津市本耶馬渓町曽木)

2024.02.04(19:57) 1721

晩秋の彼方に(2023.12.1)

<コース>
【往路】大阪駅前(21:30) → (近鉄高速バス) → 中津サンライズホテル前(6:31)

中津駅前(7:22) → (大交北部バス) → 青の洞門(7:47) → 青の洞門 → (徒歩10分) → 羅漢寺橋 → 羅漢寺〒 → (徒歩15分) → 耶馬渓〒 → 耶馬渓橋 → 下曽木入口(9:38) → (大交北部バス) → 中津駅前(10:02)

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青の洞門と山国川

 中津駅前から早朝の耶馬渓へ。以前は、中津から耶馬渓に行く大分交通の耶馬渓線が【大分】前に廃線。

今はバスが唯一の公共交通機関となっています。少し時期は遅いですが九州を代表する紅葉の名所。

加えてその名前から邪馬台国のあった場所とも言われますが、耶馬渓の名は邪馬台国からの命名で全く逆でした。

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JR中津駅スタンプ ( 「わたしの旅」印 )

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山国川に面して聳える全長約1㎞の岩峰・競秀峰

『耶馬渓は本耶馬渓、深耶馬渓、奥耶馬渓から成る広大な地域。文政元年1818年5月、

長崎に遊学した頼山陽は12月に耶馬渓を探勝、その様を『耶馬渓図巻記』に於いて激賞している。

その理由は耶馬渓の岩や川が伝統的な山水画を髣髴とさせるものだったからであろう。

以来、耶馬渓は長らく九州一、というよりも日本を代表する景勝地となった。

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本耶馬渓を通る212号線

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道路脇まで岩峰が迫る (「青の洞門駐車場」から「青の洞門」の区間)

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途中、競秀峰探勝道が分かれていたが、今回はスルー

 本耶馬溪には山国川に面して聳える全長1㎞の奇岩峰が続き、高さを競い合っている様に見えることから

競秀峰(きょうしゅうほう)と呼ばれる。山国川の対岸から眺めると、白い凝灰岩の帯岩が川面に影を落とし、

耶馬渓第一の景勝となっている。その反面、かつてこの場所は 「鎖渡し」 という難所であった。

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駐車場横に建つ禅海和尚の像

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像の裏面は菊池寛の肖像レリーフも

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禅海和尚鑿道碑

 江戸時代の享保20年(1735年)、この地に至った越後の旅僧・禅海が人馬交通の難渋を救うために

洞門開削の大悲願を起こし独力で着手。

30余年の歳月を掛けて185mに及ぶ青の洞門を自らの鑿と槌で完成させた。

開通後は通行する人から料金を取ったため日本初の有料道路とされる。

菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、この事実を脚色したものである。

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駅スタンプの図柄にもなった青の洞門入口

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岩峰を貫く212号線トンネル
但し、これらは近代になって掘られたもの。

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道路脇には今も禅海和尚の手掘り洞門が残る

 その後、洞門は機会に拠り2回の改修を行ったため当初の姿は失ったが、

国東トンネルの出口下には旧洞門の明り採りの窓、掘り違いの地点には

鑿の跡が見られ当時を偲ぶよすがとなっている。

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手掘り洞門の途中にある最初に彫られた明かり窓
窓の向こうは山国川。

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洞門内に安置された地蔵石仏は旅行者の安全を祈るものか?

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洞門内にも禅海和尚の像が

 青の洞門の前後には石造りの橋が架かるが、下流の耶馬渓橋は大正12年(1923年)に造られた

8連アーチの石橋。全長116mと日本一の長さを誇り、長崎の石橋によく見られる石積み工法を

採用しているため 「オランダ橋」 と呼ばれる。

 上流にある羅漢寺橋は大正3年(1914年)12月、耶馬渓鉄道が柿坂まで開通し羅漢寺駅が

開設された際に架橋されたものである。』 とあります。

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下流に架かるのは日本一の長さを誇る石橋 「オランダ橋」
修復中のため欄干が途中から無く現在通行止め。

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上流に架かる羅漢寺橋も同じく石橋

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山国川を渡り羅漢寺橋を振り返る

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橋の袂に建つ日田往還中津街道の道標

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羅漢寺橋上からの山国川と競秀峰の眺望

 観光名所として有名な耶馬渓ですが、紅葉は奥耶馬渓で手前の本耶馬渓は青の洞門と

赤と青で棲み分けをしています。青の洞門を有名にしたのは勿論、文豪・菊池寛の小説。

私の記憶では禅海がモデルとなった人はかつて人を殺めた【ヤバ系】の人で、

全国を逃げ回り辿り着いたこの地で僧侶となって人々の苦難を救うべく洞窟を掘り始めます。

そこへ殺めた人の息子が仇を探してここにやって来ますが、穴を掘る姿に心打たれて、

一緒に掘り進み完成させた、と言う粗筋だったと記憶しています。

『青の洞門』ではなく『恩讐の彼方に』という命名にもセンスが伺え、中津の人達は、

菊池寛の出身である香川県には足を向けて寝られないというのも穿った話です。

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洞門を通り入口へ

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洞門の彼方に

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隧道脇の歩道を往く

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本耶馬溪マンホール蓋
但し、MHCは未発行。

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耶馬渓郵便局 ; 耶馬渓、青の洞門

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