<コース>
京浜急行横浜 → 新逗子 → 徒歩15分 → 岩殿寺 → 徒歩30分 → 安養院 → 徒歩60分 → 常楽寺 → 徒歩10分 → 大船観音 → JR大船 → JR横浜

粟船山 常楽禅寺(臨済宗建長寺派)
三番札所あとは北鎌倉から常楽寺を経て大船まで行脚。
鎌倉から北鎌倉まではよく歩くので【大船】に乗った気で始めましたが終いには足に【逗子】りと来る羽目に。
JR三駅分でしたから【常楽寺】とはいきません。
途中、住宅街の先にあったのが常楽寺。
御成敗式目を制定した北条泰時が夫人の母の追福のために嘉禎3年(1237年)建立した粟船御堂がその前身。
粟船とは大船の古名で開山供養は退耕行勇。
仁治3年(1242年)に泰時が没するとここに葬られる事になり、泰時の法名を採り常楽寺と呼ばれる事になりました。
初めは密教系、浄土宗系の寺院でしたが、五代目執権北条時頼の時に宋の蘭渓道隆が招かれて住持となり一気に禅宗色が強まることに。
後に建長寺が建立されると中心はそちらに移りますが、建長寺の根本という事で重きを置かれることになりました。
北条泰時は三代目執権、父義時の後を受け幕府の基礎を固めました。
神皇正統記で承久の乱を暴挙と記載した北畠親房も義時・泰時の手腕をほめています。
政治家として多忙を極めたようで、名前のような【泰時】はなかったようです。
・こと繁き 世の習いこそ ものうけれ 花の散るらむ 春も知られず
というのが彼の辞世。
後ウマイア王朝のカリフ、アブドル・ラフマーン三世も同じようなことを残しています。
本来政治は花を愛でる暇もないようなものなのでしょう。政治に携わる方々には知って貰いたい話です。

山門脇の説明板

山門
十七世紀の建立の茅葺四脚門

常楽寺の仏殿(右)と文殊堂(左)
仏殿は元禄4年(1691年)の建立で、天井には狩野雪信による「雲龍図」が描かれている。

常楽寺庭園

粟船山 常楽禅寺誌

常楽寺御朱印
後は、大船駅から電車に乗るだけでしたが、いつも電車の窓から見える白衣観音様が気になり再び横道へ。
昭和35年に世界平和を願って建立された新しい仏様ですが、私も平和を願って参拝・御朱印を頂きました。
政治家の力だけでは平和は維持できるものではないですから。

大船観音寺(曹洞宗)の観音様

観音様は内側も参拝できる

大船観音寺御朱印
[参考書]
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