最上氏の栄光と蔵で食べる芋煮(2016.11.03)
<コース>
JR山寺駅 → JR山形駅 → 徒歩10分 → 光禅寺 → 徒歩10分 → JR山形駅

天瀧山光禅寺(曹洞宗)

山形駅に着いた時点では16時前だったので、この日最後の巡礼に最上氏所縁の寺へ。
最上氏は足利一門で三管領を務めた斯波氏の流れ。
南北朝時代に奥州管領斯波家兼の息子兼頼が山形城を築城、郡の最上を名乗ったのが始まり。
その後、周囲との争いを経て11代義光の時には最大版図を実現、押しも押されぬ戦国大名となりました。
伊達政宗の生母義姫も最上氏の出。
豊臣政権下では24万石まで減封、息女駒姫が豊臣秀次の側室に声がかかったばかりに
秀次謀反のとばっちりを受け処刑されるなど苦難がつづきます。
しかし関ヶ原では徳川方に付き領地を回復。57万石の大大名に返り咲きました。時に義光57歳。
しかし彼が71歳で亡くなって暫くすると御家騒動が勃発し1622年に改易となります。
幕府当初だからこそ一層の慎重さが求められたのでしょうが、隣の伊達家の様にはいきませんでした。
義光にとっては改易を見なかったのがせめてもの救いだったでしょうが。
天瀧山光禅寺は、最上家最盛期を築いた最上義光が自らの菩提寺とするために1596年(慶長元年)に創建し慶長寺と命名。
その後、光禅寺と名を変えました。広い境内と遠州流の庭園を持つ寺院ではありますが訪れる人も疎らで、
どこか寂しい雰囲気がするのは最上氏の興亡が脳裏にあるからでしょうか。

光禅寺庭園
県下で最も古い遠州流庭園。東西70m、南北40mの規模。

光禅寺御朱印
その後、最上地方は分割され大きな石高の大名は出ませんでした。
しかし明治維新には江戸時代に大藩がなかった事が新政府に気に入られたのか、県庁となって再び村山地方の中心に。
市内には明治以降のデザインに凝った洋風建築が残りモダンな雰囲気を醸し出しています。
江戸期には首座を譲った山形ですが、義光ももって瞑すべきでしょうね。
・世乱れを 鎮めて寂し 最上かは

市内にある建物
これはのし梅本舗

市内にある漆器店

こちらは洋風医院

文翔館
山形市内の代表的洋風建築で旧山形県庁、現在は郷土資料館。
その後は紅花蔵を改装した山形まるごと館 紅の蔵にて夕食。馬見ヶ崎川の芋煮会は無理でしたが茸蕎麦と芋煮を注文。
お店により個性があるのでしょうが肉じゃがに似た味付だったのが印象的でした。

夕食は、山形まるごと館 紅の蔵のそば処 紅山水にて

市内の風景印 レンタサイクルは10月末までなので徒歩での局巡りとなりました、トホホ。
山形駅前郵便局; 旧済世館本館、紅花、蔵王のお釜
山形木の実町郵便局 ; 紅花、山形城二の丸東大手門、蔵王のお釜
霞城セントラル郵便局 ; セントラルビル、最上義光像と蔵王連峰
山形七日町五郵便局 ; 関白秀次側室駒姫、専称寺白壁と大銀杏
山形三日町郵便局 ; 紅花、サクランボ、光禅寺庭園、瀧山
山形旅籠町郵便局 ; 旧山形県庁舎文翔館
[参考書]
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