FC2ブログ

タイトル画像

岩室観音堂と吉見百穴(埼玉県比企郡吉見町) 岩盤に彫られた仏様とマンホールカード

2019.08.29(09:35) 389

昔のよしみで穴場を訪問(2017.8.26)

<コース>
東急横浜 → (東急東横線・副都心線・東武東上線) → 東松山 → 徒歩20分 → 岩室観音堂・吉見百穴

161-2-1.jpg
岩室観音堂

週末も天気がいまひとつ。そこで2年前吉見観音巡礼の途中スルーした穴場を訪問する事に。

 吉見町は比企の丘陵地帯。比企丘陵及び吉見丘陵は凝灰岩質で周囲には加工し易い場所が【比企】も切らず、

道脇には石仏などが鎮座されています。

 岩室観音堂は弘仁年間(810~824年)に創建されたと言われ、歴代松山城主の侵攻もとい信仰を受けました。

88体の石仏が安置され四国八十八ヵ所と同じ功徳が得られると言われますが今は無住。堂だけがひっそりと残っています。

未だ崩壊してはいませんが、このままだと朽ち果てる運命なので、何某かの手を打つ必要があるのではないでしょうか?

161-2-2.jpg
東京駅を模したような東武・東松山駅
行先は吉身町だが、東松山市から東へ歩く。

161-2-3.jpg
岩室観音堂山門
風格はあるが風化が進んでいる様子。

161-2-4.jpg
岩窟内のお地蔵様群
境内という広さはなく、自然をそのまま利用したと言う表現がピッタリくる。

 観音堂すぐ北側の吉見百穴(よしみひゃくあな)は江戸時代から知られていましたが、明治期になって本格調査。

帝国大学の坪井正五郎博士がコロボックル住居説を唱えましたが、いまでは古墳末期の墳墓というのが定説です。

百穴と言われますが、全部で219穴。長期に亘って使用されていた事から推測するに住み心地が良く、

【あなーきー】な状態ではなかったということでしょう。

 古墳時代は墳墓として用いられた百穴も戦時中は軍需工場の一部として中島飛行機の地下工場に。

そのため数十基の穴が破壊されました。

工場は終戦後も稼働していたらしく、半島から出稼ぎに来ていた最後の人が辞めると同時に閉鎖。

国へ帰るので送別会を開き、その人が返礼に植えた木が今も残っています。戦時とはいえ心温まる話ではあります。

このように波乱万丈の変遷を経ていますが、いまは観光地として第三の人生?を歩んでいます。

古代の遺跡と現代の戦跡が共存しているのも奇妙なものですが、どちらも目を背ける事のないようにしないといけませんね。

見学後は、マンホールカード貰いましたが、これも穴繋がりでしょうか?

161-2-5.jpg
吉見百穴
実際は219穴ある。右下は軍需工場跡地への入り口

161-2-6.jpg
百穴説明板

161-2-7.jpg
地下軍需工場への入口
中島飛行機の大宮工場を移転したらしい。

161-2-8.jpg
軍需工場跡地
サスペンスドラマや仮面ライダー等の撮影で使われたとか。ああ、しょっかー!

161-2-9.jpg
百穴近影
穴の広さは3㎡程。大化薄葬令の影響か?

161-2-10.jpg
百穴にあるヒカリゴケ
関東では珍しいとされ、国の天然記念物に指定。

161-2-11.jpg
百穴の上から東松山市を望む

130-2-3.jpg
吉身町マンホールカード    配布場所は吉見百穴

161-2-12.jpg
東松山郵便局 ; 史跡・吉見百穴、箭弓神社境内の狐、牡丹

[参考書]

埼玉県の歴史散歩

新品価格
¥1,296から
(2019/8/29 09:29時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト





和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


埼玉県 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
<<平林寺(埼玉県新座市) 武蔵野林に囲まれた凛とした禅道場 | ホームへ | 中仙道を往く(長野県塩尻市及び木曽郡) 木曽街道は1日中山道>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する