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藤白神社(和歌山県海南市) 熊野詣の始まりを支えた神社の御朱印

2019.09.16(21:33) 410

鈴木氏発祥の地に建つ王子と悲劇の皇子(2019.9.10)

<コース>
【往路】JR天王寺(6:45) → JR箕島(8:38)

JR箕島駅 → 徒歩5分 → 文化福祉センター → レンタサイクル10分 → 浄妙寺 → レンタサイクル25分 → 得生寺 → レンタサイクル20分 → 宗祇旧跡 → JR箕島(13:04) → JR海南(13:24) → 駅構内観光センター → レンタサイクル10分 → 藤白神社 → レンタサイクル20分 → 黒江街並み → 駅構内観光センター

【復路】JR海南(15:51) → JR和歌山(16:05→16:09) → JR大阪(17:43)

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藤白神社

 午後からは海南に戻って熊野古道を徒歩ならぬ自転車で巡礼。

熊野古道に沿って紀勢線の線路を越えた所にあるのが藤白神社。

景行天皇5年の鎮座と言う古社、ほぼ神話時代の話です。

斉明天皇4年に天皇が牟婁の湯に行幸された際に社を創建されたと伝わります。

孝謙天皇が行幸の際に、「日本霊験根本熊野山若一王子三所権現社」と号して以来、

熊野九十九王子の中でも別格とされた五体王子の一つ。熊野詣をする貴人の宿泊地とされました。

境内の権現堂には本地仏が祀られ神仏習合の地。

戦乱により本殿と神宮寺は焼失しましたが、紀州徳川家初代頼宣公が再建して今に伝わります。

境内には楠の古木が聳え宛ら古代の空間。

楠・藤・熊の文字は吉字とされ子供に付けると長命・出世するとかで、両方を貰った南方熊楠は文字通り大成しました。

地域が経済的に困ったときにはこの楠を伐採して凌いだそうですから、文字通り地域の守り神であったと言えます。 

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神社近くの民家

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神社参道から見る紀勢本線

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一の鳥居
右にあるのが宮司氏宅。

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楠に囲まれた境内

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楠の巨木

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旧社務所・茶屋跡
御朱印はここで拝受。

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拝殿

 またここは全国鈴木氏の発祥の地。神社の御祭神の饒速日命を祖とする程、古い氏族で後世に賜った氏ではないようです。

神社の方の話では、鈴木氏は熊野出身でこちらへ移住。修験者を通して熊野信仰を全国へ広めるのに功績があったとの事。

何故、鈴木氏がここまで多くなったかですが、庶民に苗字がなかった時に鈴木氏が分け与えたことが結構あったと伺いました。

 神職も代々藤代鈴木氏が務められているのかと思いきや、今は吉田氏だそうです。

神社の傍らにはかつては鈴木屋敷と呼ばれるものがあったようですが、風雪に拠り劣化。今は再建に向けて準備中でした。

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旧鈴木屋敷跡
老朽化が進んでおり現在再建中。

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鈴木屋敷跡の図

 境内の一角には有間皇子神社が鎮座。

有間皇子は孝徳天皇の皇子。政争に巻き込まれるのを防ぐため病を装っていましたが、

有力な中大兄皇子の意を受けた蘇我赤兄に謀られ、謀反の疑いで捕らえられます。

紀州に行幸中の中大兄皇子の前で問い詰められた有間皇子は

「我もはら知らず。唯、天と赤兄のみ知る」 と言ったと伝わります。
 
・磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

・家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

この二首は万葉集にある皇子の絶唱ですが、椎の葉に盛るのは自身の食事ではなく、

無事を祈っての神への供物だったと、犬養孝先生が書かれたのを見て納得した記憶があります。

皇子の願いも空しく都への帰路にここ藤白の坂で刑死、享年19歳。

大津皇子と並ぶ古代史の悲劇の人ですが、当時も後世も皇子には同情的でした。

境内にも皇子の死後43年、持統・文武の紀国行幸に同行した人が彼を悼んだ歌を詠んだ歌碑が建っています。

 藤白神社の中に皇子を祀ったのもそれ故でしょうか?

私は初め、藤白神社は皇子を祀って建てられたと思っていました、己の無知を反省です。

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有間皇子神社入口

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由緒記

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境内の歌碑
・藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は 濡れにけるかも

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神社横の熊野古道を通り藤代の坂へ

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藤代の坂にある有間皇子の墓と「家にあらば」の歌碑

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神社の北側の鳥居と子守大楠

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藤白神社御由緒

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御由緒裏面

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藤代神社御朱印

 参拝の後は市内に戻って黒江まで足を伸ばすことに。

江戸時代に漆器産業が繁栄しますが、地形の関係で平行四辺形となった敷地に住居兼工房を建てたため、

「のこぎりの歯状」という独特の街並みが形成されました。

当時としては止むを得なかったのでしょうが、それが却って観光客を呼んでいるのは【うるし】い誤算だったと言えそうです。

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のこぎり歯状の街並み

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漆器店が軒を並べる通り
川端通りから南へ一筋入った場所にある。

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文化財・尾崎漆器店
見学はしていないので外観のみ。

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海南名高郵便局 ; 藤白獅子舞、樹齢700年の大楠
海南黒江郵便局 ; 黒江の街並み、漆器の作業風景

[参考書]

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