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建長寺(神奈川県鎌倉市) 鎌倉五山筆頭の御朱印

2019.09.30(08:54) 428

堅調時は続かない!(2015.9.22)

<コース>
JR北鎌倉 → 徒歩15分 → 建長寺

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巨福山建長禅寺(臨済宗建長寺派大本山)
これは唐門。尚、唐門とは屋根が唐破風(湾曲した破風)になっている門の事で、中国風という意味ではない。

 関西から来た人に少しの時間ですが、鎌倉を案内することに。

さて何処にしようかという事で、駅近で五山第一の建長寺へ。

 正式名は巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、鎌倉五山第一の格式を誇ります。

京都にも五山がありますが、お寺の人の話では五山の称号は鎌倉の方が先んじたそうで、それがお寺の誇りでもあるのでしょう。

『建長5年(1253年)五代執権北条時頼が南宋から招いた蘭渓道隆(大覚禅師)を開山として創建。

創建時の元号を寺号にした。創建した場所は地獄谷と呼ばれた刑場の地。

かつて心平寺という寺があったが、廃寺となり地蔵像を祀る地蔵堂だけが残った。

頼朝の家臣済田左衛門という人が地獄谷で処刑されそうになった時、日頃信仰していた一寸八分の地蔵立像に救われ、

その地蔵立像を地蔵の胎内に納めた。これが建長寺に移され本尊となった。

禅宗の大本山にしては珍しく地蔵菩薩が本尊なのはこのような理由に拠る。』

とあります。死者の魂を鎮魂する目的があったかどうかは分かりませんが、

名執権と言われた北条時頼も幕府御家人三浦氏を滅ぼすなど血腥い面があったのは否めません。

 禅宗自体は以前にも日本に伝わっていましたが、総て他宗派との兼学寺院。禅宗単独はこの建長寺を嚆矢とします。

蘭渓道隆はその後、京都・甲斐と移りますが、再びか鎌倉に戻り弘安元年(1278年)66歳にて入寂。

死後、後宇多天皇より本朝初の禅師号、大覚禅師を賜りました。 

 二代目も南宋から招いた兀庵普寧(ごったんふねい)と中国からの住職が続きますが、

その頃の南宋は北のモンゴルに攻められ末期状態。

日本に新たな開拓の場を求めたか、南宋を救おうと来朝したかは謎ですが、尋常な状況ではなかったのは確かです。

余談ですが、兀庵普寧は論争好きで相手構わず論争を仕掛けたので「ゴタゴタ」の語源になりました。

 伽藍と境内は鎌倉第一に恥じないもので、鎌倉文士であった澁澤龍彦氏も美しい物として建長寺の庭を挙げています。

しかし戦乱・天災で殆どが焼失。建造物が江戸時代以降のものとなっているのは、時代の流れは如何ともし難いと言う事でしょう。

ここで出された精進汁が「建長汁」で後の「けんちん汁」になりました。物は消滅しても名前は残る典型ですね。

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庭園と方丈(龍王殿)
作庭は開山・大覚禅師で日本最古の禅庭園。

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同じく庭園と得月楼

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境内に咲いていた彼岸花
白色は珍しいので撮影。

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鐘楼
国宝・梵鐘は建長7年の鋳造で、大覚禅師による建長禅寺の銘が浮彫りにされている。

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建長寺説明書

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建長寺御朱印

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