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山科毘沙門堂門跡(京都市山科区) 紅葉が映える門跡寺院

2019.12.02(21:24) 497

四季の紅葉と敷き紅葉(2019.11.26)

<コース>
JR大阪 → JR山科 → 徒歩15分 → 毘沙門堂 → 徒歩10分 → 安祥寺 → 地下鉄山科 → 地下鉄小野 → 徒歩5分 → 勧修寺 → 徒歩10分 → 随身院

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護法山 安國院 出雲寺(天台宗門跡寺院) 

 丹波地域の紅葉はピークを過ぎたようですが、京都市内では未だ見頃の様子。

そこで市内に繰り出しました。と言っても京都駅から一山超えた山科区。

京都盆地を一回り小さくしたような山科盆地。古くは山階とも書いたようです。

私の拙い記憶に拠れば信濃と同様に「しな」の言葉は坂を表すとか。

山科駅から道路を北に向かい坂を上った所が目指す寺院。

道沿いには邸宅が並び、都会ながら自然に恵まれ、うら【やましいな】と思いましたが、

観光シーズンの人出を考えると閑静なとはいかないようです。

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駅から1㎞歩くと目指す寺院に
両側には屋敷が並ぶ。

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毘沙門堂入口
ここから階段上の仁王門まで紅葉が続く。

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仁王門への階段と紅葉のトンネル

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紅葉を抜けて仁王門へ

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仁王門前から階段を見返る

 毘沙門堂は天台宗五箇室門跡の一つで、

正式名は護法山安國院出雲寺(ごほうざんあんこくいんいずもじ)。

御本尊は七福神の一つ毘沙門天で天台宗を開いた最澄が延暦寺本尊の余材をもって刻まれたもの。

山寺の風情を伝える格式高い古刹です。由緒に拠れば、

『大宝3年(703年)文武天皇の勅願で行基が創建。

当初は御所の北側の出雲路にあり護法山出雲寺と呼ばれた。

 その後、建久6年(1195年)に平家所縁の平等寺、尊重寺、護法寺の三寺を統合。

応仁の乱で焼失後、再建されるが元亀2年(1571年)に再び焼失。

 江戸時代に入ると家康側近の天海僧正により復興に尽力。

幕府から山科の安祥寺の寺領を与えられこの地に移転、寛文5年(1665年)に完成した。

その後、後西天皇の皇子公弁法親王が入寺、以降は門跡寺院となった。』 とあります。

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阿吽の二天像が護る仁王門
寛文5年(1665年)、この地に再興。急峻な石段の上に建つ。

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右側にある阿像

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仁王門から本殿を見る

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境内から見た仁王門

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塀越しに見る本殿
後ろに見えるのは霊殿。

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最澄作の毘沙門天を祀る本殿
梁行六間、桁行五間の単層入母屋造。

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本殿唐門仁王門
内部の拝観はここから。右は御朱印待ちの行列。

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本殿前に架かる「出雲寺」の扁額

古刹に加えて桜と紅葉の名所。

平成4年6月には若い僧侶が、私一人を案内してくれましたが、

この日は令和特別拝観もあって、ガイドの人が20~30人纏めて案内。

本堂、宸殿を30分掛けて拝観。本殿から弁財天の間と宸殿奥の晩翠園の紅葉も見頃。

写真に良く使われる紅葉の参道は勅使門前ですが、撮影スポットらしく人がひっきりなしに往来。

参道下ではカメラを持った人がスタンバっていましたが、シャッターチャンスは中々来ません。

現実を【ちょくし】しないといけないという意見に【賛同した】くなります。

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本殿と霊殿の間の中庭
境内の紅葉の絶景スポット その1。奥に見えるのが弁財天。

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本殿廊下から見る高台弁財天
秀吉の母大政所が大坂城内に祀っていたものを移築した。

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本殿周りの塀越しに見る弁財天
ここの紅葉も見事。

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本殿廊下より見た霊殿
元禄6年(1693年)、第三世公辨法親王の建立。阿弥陀如来を中心に影像やお配を安置している。

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霊殿廊下から見た本殿

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霊殿から宸殿への渡り廊下

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渡り廊下から見た裏山の紅葉

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同じく渡り廊下からの眺め

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宸殿前の枝垂桜と勅使門

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宸殿から霊殿(左)と本殿を見る

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前庭にある枝垂桜と勅使門
樹齢百数十年の巨木。

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宸殿
御所にあった後西天皇の旧殿を移築したもの。襖絵は狩野益信の作で見る角度によって変化して見える。

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宸殿の裏手にある晩翠園
谷川の水を引き滝を造った江戸初期の回遊式庭園。紅葉の絶景スポット その2。

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晩翠園
「心字」の裏文字を象った池に亀石、千鳥石、坐禅石を配置している。

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晩翠園
堂の左奥に滝が見える。

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晩翠園の紅葉

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屋根越しに見る紅葉

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弁財天から見た本殿
周囲は楓と満天星の紅葉に囲まれる。

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弁財天前の紅葉

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勅使門への階段
後西天皇より拝領した檜皮葺の総門。

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勅使門
陛下の行幸か代参、当山門跡の晋山式以外は開かれない。

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勅使門から参道を見る

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勅使門への参道の紅葉のトンネル

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参道の向こうに見える勅使門
緩やかな階段が落ち葉で深紅になる敷き紅葉。紅葉の絶景スポット その3。

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参道脇の敷き紅葉
ここは立ち入り禁止。

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敷き紅葉のシャッターチャンスを狙う人達

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帰り道の紅葉

 境内の紅葉は見事でしたが、面白かったのは梅の間の解説。

会いたくない人が来た場合は、ここで待たされるそうですが一向に人は現れません。

良く見るとここの襖には、「梅に山鳥」、「竹に鵯」が描かれています。

「梅に鶯」「竹に雀」が本来の構図なので、これでは鳥が合いません。

実はこの襖は「とりあわない」という暗号を込めたものだそうで、

それに気付かない来客は永遠に待つ羽目になるようになるそうです。

 これくらいは察しなさいという事でしょうが、来客は所要があって来る訳で、

そんな事まで気を効かすのは無理と言うもの。私ならずっと待たされた事でしょう。

貴族文化華やかなりし平安朝ならば、待つ人も和歌で即妙の返事をするでしょうが、

この頃にはもう京都人にはそのような心の余裕もなくなっていたのかもしれません。

斜陽族の痩せ我慢と言ったら怒られるでしょうか…。

「ぶぶ漬けでも食べて行っておくれやす。」という京都人のイケズな気性は、

もうこの時代には出来上がっていたようです。

尤も、私は京都には6年間居ましたが、ぶぶ漬けを勧められたことは一度もありませんでしたが…。

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毘沙門堂門跡説明書

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毘沙門堂御朱印
平成4年6月20日に拝受。

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この日の御朱印は9種類
令和元年とはいえ、27年前とは雲泥の差が…。

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