fc2ブログ

桓武天皇 決断する君主 (岩波新書 新赤版 1983)

新品価格
¥1,166から
(2023/9/7 04:48時点)

タイトル画像

随心院門跡(京都市山科区) 小野小町ゆかりの彩られた寺院

2019.12.06(00:39) 500

葉の色は移りにけりな(2019.11.26)

<コース>
JR大阪 → JR山科 → 徒歩15分 → 毘沙門堂 → 徒歩10分 → 安祥寺 → 地下鉄山科 → 地下鉄小野 → 徒歩5分 → 勧修寺 → 徒歩10分 → 随心院

191-4-1.jpg
牛皮山 随心院(真言宗善通寺派大本山) 

 現在も小野の地名が残るこの地は

古来「小野郷」と呼ばれる古代豪族小野氏の栄えた場所。

牛皮山随心院(ぎゅうひざんずいしんいん)は、

『正暦2年(991年)、一条天皇によりこの地を賜った仁海僧正が一寺を建立したのが嚆矢。

古くは牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)と称した。

仁海僧正の夢枕に母親が牛に生まれ変わって現れたので、その牛を尋ね求めて飼育した。

ほどなく、牛が死んだのでその皮に両界曼荼羅を描き本尊としたのが山号の由来である。

その後、曼荼羅寺の子房として随心院を建立。

寛喜元年(1229年)に堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来随心院門跡と称される。

堂宇も壮麗を誇っていたが、承久・応仁の兵火で焼失。慶長4年(1599年)に漸く本堂が再建。

九条二条両家より門跡が入寺し、両家によって【ずいじ】寄進再建された。』

とあります。

191-4-2.jpg
道路に面した総門
宝暦3年(1753年)に二条家より移築されたもの。

191-4-3.jpg
随心院由緒書

191-4-4.jpg
庭園・殿舎拝観はここから

191-4-5.jpg
庫裏
宝暦3年(1753年)に二条家の政所であったものを移築。

191-4-6.jpg
庫裏の前にある小町百人一首歌碑

191-4-7.jpg
歌碑近影

191-4-8.jpg
謡曲「通小町」の説明

191-4-9.jpg
庫裏近影

191-4-10.jpg
庫裏の天井構造

191-4-11.jpg
拝観受付横の小野小町衝立

 門跡寺院らしく上品で落ち着いた雰囲気。廻廊の中庭も緑が美しいですが、

表書院と本堂前の庭園、奥書院の庭園では木々の彩が鮮やか。

・色見えて 移ろふものは 小野郷の 庭の所の 木々にぞありける

を実感しました。

加えて書院には「だるま商店」作の極彩色絵画が展示。

「まるむし商店」は知っていますが「だるま商店」は初耳。

なんでも地元で活躍しているという絵画ユニットだそうでCGによる製作。

全体的に朱華(はねず)色という薄紅色を基調とし小町の生涯を四曲の屏風形式で描いたものです。

古刹にしては現代的な図柄ですが、不思議と違和感はなし。

古い物だけを墨守するのではなく、新しい物も【はねず】にうまく共存できている気がしました。

191-4-12.jpg
庫裏から表書院(右奥)に向かう

191-4-13.jpg
大玄関から薬医門を望む

191-4-14.jpg
表書院と本堂前の庭園

191-4-15.jpg
表書院大広間

191-4-16.jpg
極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)
障壁画 2009年 だるま商店作

191-4-17.jpg
生誕の図
出羽の国(秋田県)で生まれ、生活される様子を描いた作品。

191-4-18.jpg
小町生誕の場面の拡大

191-4-19.jpg
饗宴の図
仁明天皇のもとで宮仕えをされる様子を描いた作品。

191-4-20.jpg
宮中での舞いの部分

191-4-21.jpg
伝承の図
宮仕えを辞し山科小野の里でお過ごしになられる様子を描いた作品。

191-4-22.jpg
小野の里での日常
住居は随心院に似ているが、当時はまだない。

191-4-23.jpg
夢幻の図
山科小野を出て諸国を放浪される様子を描いた作品。

191-4-24.jpg
地蔵菩薩像に写経を巻く

191-4-25.jpg
表書院廊下から庭園を眺める

191-4-26.jpg
庭園遠景

191-4-27.jpg
慶長4年(1599年)建築の本堂
桃山時代の寝殿造で、本尊如意輪観世音菩薩坐像他諸仏を安置する。

191-4-28.jpg
本堂前面の造り
屋根の廂が前に張り出した造り。

191-4-29.jpg
本堂より見た庭園
一面苔に覆われている。

191-4-30.jpg
本堂より見た庭園

191-4-31.jpg
本堂より見た庭園

191-4-32.jpg
能之間から奥書院への廊下の東側にある庭園

191-4-33.jpg
奥書院の庭園にある小町堂

191-4-34.jpg
小町堂内の小町像

191-4-35.jpg
拝観を終え奥書院から庫裏へ戻る

 小野小町所縁の寺院とありますが、小町が実在したのは9世紀なので、

991年開創の寺院とは直接関係は無し。仁明天皇崩御後の仁寿2年(852年)、

30歳を過ぎた頃に宮中を去り小野の里に隠棲したとされるので、

境内には小町化粧の井戸や深草少将の百夜通の伝説が残ります。

 小野小町は平安朝初期の女流歌人で六歌仙の一人。

それにも増して絶世の美女として有名です。

と言っても同時代の肖像画や彫像、デスマスク等があるわけではなく、

古今集仮名序で貫之が『小町は古の衣通姫(そとおりひめ)の流なり』とあるのが嚆矢。

衣通姫は允恭天皇の后で、美しさが衣服を通して外まで見えたという人。

シースルーを着ていたわけではありませんが、これにより美女のイメージが定着したのでしょう。

 その生涯も謎めいていますが、実在の六歌仙との歌の贈答が残っており

830年頃から900年頃に実在したというのが有力。出身地、終焉地も全国各所にありますが、

有力氏族の小野氏が出羽に所縁があったことから秋田の湯沢付近の出身が有力。

説明書には小野篁の孫とありますが、年齢が20歳ほどしか離れておらず無理があります。

篁と出羽の女性との間に生まれた娘というのがそれらしいとは思うのですが…。

成長すると地方から朝廷に仕え生涯独身だったとか。

容貌については日照や保湿の好条件に加え牛飼いに従事していた関係から

牛痘の影響で天然痘に罹らず肌が極めて美しかったという医学的説もあります。

 彼女の歌のキーワードは「移ろい、夢、儚さ」が主で、

貫之が『美しい中にも妖艶さがある』と絶賛しています。

このような詠み振りが貫之の感性に一致したのでしょう。

当時のリーダー的男性に好まれるタイプではあります。

やはり美人は得なのかと笑ってしまいますが、小町自身が儚げな女性だったかどうかはまた別の話です。

191-4-36.jpg
薬医門

191-4-37.jpg
薬医門近影
九条家ゆかりの天真院尼の寄進で寛永年間の建築。

191-4-38.jpg
薬医門から見た大玄関
左右に小玄関、使者の間がある。

191-4-39.jpg
薬医門の前にある参道

191-4-40.jpg
参道横にある小野梅園は梅の開花中のみの開園

191-4-41.jpg
小野小町化粧井戸
小町の屋敷跡に残る井戸で小町が朝夕この水で粧を

191-4-42.jpg
化粧の井戸の説明

191-4-43.jpg
本堂裏にある文塚
深草少将を初め当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めたとされる。

191-4-44.jpg
随心院門跡 小野小町略縁起

191-4-45.jpg
随心院御朱印(平成6年文化の日に拝受)

191-4-46.jpg
随心院令和元年秋季限定御朱印

191-4-47.jpg
説明書籍 ¥500

191-4-48.jpg
TVで紹介された随心院門前南の山科わかさ屋で珈琲ブレイク

191-4-49.jpg
抹茶大福&珈琲大福 どちらも¥220

191-4-50.jpg
山科郵便局 : 小野随心院、小野小町文塚、疎水

[参考書]

京都府の歴史散歩〈中〉

新品価格
¥1,320から
(2019/12/6 00:27時点)



新装版 小野小町追跡: 「小町集」による小町説話の研究

新品価格
¥1,870から
(2019/12/6 00:34時点)



小野小町ものがたり (んだんだブックレット)

新品価格
¥990から
(2019/12/6 00:35時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト





和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


京都市内 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
<<気比神宮(福井県敦賀市) 日本海の玄関口にある大社 | ホームへ | 勧修寺(京都府山科区) 古池を囲む名園のある古刹>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する