<コース>
JR大阪 → JR山科 → 徒歩15分 → 毘沙門堂 → 徒歩10分 → 安祥寺 → 地下鉄山科 → 地下鉄小野 → 徒歩5分 → 勧修寺 → 徒歩10分 → 随心院

牛皮山 随心院(真言宗善通寺派大本山)
現在も小野の地名が残るこの地は
古来「小野郷」と呼ばれる古代豪族小野氏の栄えた場所。
牛皮山随心院(ぎゅうひざんずいしんいん)は、
『正暦2年(991年)、一条天皇によりこの地を賜った仁海僧正が一寺を建立したのが嚆矢。
古くは牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひざんまんだらじ)と称した。
仁海僧正の夢枕に母親が牛に生まれ変わって現れたので、その牛を尋ね求めて飼育した。
ほどなく、牛が死んだのでその皮に両界曼荼羅を描き本尊としたのが山号の由来である。
その後、曼荼羅寺の子房として随心院を建立。
寛喜元年(1229年)に堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来随心院門跡と称される。
堂宇も壮麗を誇っていたが、承久・応仁の兵火で焼失。慶長4年(1599年)に漸く本堂が再建。
九条二条両家より門跡が入寺し、両家によって【ずいじ】寄進再建された。』
とあります。

道路に面した総門
宝暦3年(1753年)に二条家より移築されたもの。

随心院由緒書

庭園・殿舎拝観はここから

庫裏
宝暦3年(1753年)に二条家の政所であったものを移築。

庫裏の前にある小町百人一首歌碑

歌碑近影

謡曲「通小町」の説明

庫裏近影

庫裏の天井構造

拝観受付横の小野小町衝立
門跡寺院らしく上品で落ち着いた雰囲気。廻廊の中庭も緑が美しいですが、
表書院と本堂前の庭園、奥書院の庭園では木々の彩が鮮やか。
・色見えて 移ろふものは 小野郷の 庭の所の 木々にぞありける
を実感しました。
加えて書院には「だるま商店」作の極彩色絵画が展示。
「まるむし商店」は知っていますが「だるま商店」は初耳。
なんでも地元で活躍しているという絵画ユニットだそうでCGによる製作。
全体的に朱華(はねず)色という薄紅色を基調とし小町の生涯を四曲の屏風形式で描いたものです。
古刹にしては現代的な図柄ですが、不思議と違和感はなし。
古い物だけを墨守するのではなく、新しい物も【はねず】にうまく共存できている気がしました。

庫裏から表書院(右奥)に向かう

大玄関から薬医門を望む

表書院と本堂前の庭園

表書院大広間

極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)
障壁画 2009年 だるま商店作

生誕の図
出羽の国(秋田県)で生まれ、生活される様子を描いた作品。

小町生誕の場面の拡大

饗宴の図
仁明天皇のもとで宮仕えをされる様子を描いた作品。

宮中での舞いの部分

伝承の図
宮仕えを辞し山科小野の里でお過ごしになられる様子を描いた作品。

小野の里での日常
住居は随心院に似ているが、当時はまだない。

夢幻の図
山科小野を出て諸国を放浪される様子を描いた作品。

地蔵菩薩像に写経を巻く

表書院廊下から庭園を眺める

庭園遠景

慶長4年(1599年)建築の本堂
桃山時代の寝殿造で、本尊如意輪観世音菩薩坐像他諸仏を安置する。

本堂前面の造り
屋根の廂が前に張り出した造り。

本堂より見た庭園
一面苔に覆われている。

本堂より見た庭園

本堂より見た庭園

能之間から奥書院への廊下の東側にある庭園

奥書院の庭園にある小町堂

小町堂内の小町像

拝観を終え奥書院から庫裏へ戻る
小野小町所縁の寺院とありますが、小町が実在したのは9世紀なので、
991年開創の寺院とは直接関係は無し。仁明天皇崩御後の仁寿2年(852年)、
30歳を過ぎた頃に宮中を去り小野の里に隠棲したとされるので、
境内には小町化粧の井戸や深草少将の百夜通の伝説が残ります。
小野小町は平安朝初期の女流歌人で六歌仙の一人。
それにも増して絶世の美女として有名です。
と言っても同時代の肖像画や彫像、デスマスク等があるわけではなく、
古今集仮名序で貫之が『小町は古の衣通姫(そとおりひめ)の流なり』とあるのが嚆矢。
衣通姫は允恭天皇の后で、美しさが衣服を通して外まで見えたという人。
シースルーを着ていたわけではありませんが、これにより美女のイメージが定着したのでしょう。
その生涯も謎めいていますが、実在の六歌仙との歌の贈答が残っており
830年頃から900年頃に実在したというのが有力。出身地、終焉地も全国各所にありますが、
有力氏族の小野氏が出羽に所縁があったことから秋田の湯沢付近の出身が有力。
説明書には小野篁の孫とありますが、年齢が20歳ほどしか離れておらず無理があります。
篁と出羽の女性との間に生まれた娘というのがそれらしいとは思うのですが…。
成長すると地方から朝廷に仕え生涯独身だったとか。
容貌については日照や保湿の好条件に加え牛飼いに従事していた関係から
牛痘の影響で天然痘に罹らず肌が極めて美しかったという医学的説もあります。
彼女の歌のキーワードは「移ろい、夢、儚さ」が主で、
貫之が『美しい中にも妖艶さがある』と絶賛しています。
このような詠み振りが貫之の感性に一致したのでしょう。
当時のリーダー的男性に好まれるタイプではあります。
やはり美人は得なのかと笑ってしまいますが、小町自身が儚げな女性だったかどうかはまた別の話です。

薬医門

薬医門近影
九条家ゆかりの天真院尼の寄進で寛永年間の建築。

薬医門から見た大玄関
左右に小玄関、使者の間がある。

薬医門の前にある参道

参道横にある小野梅園は梅の開花中のみの開園

小野小町化粧井戸
小町の屋敷跡に残る井戸で小町が朝夕この水で粧を

化粧の井戸の説明

本堂裏にある文塚
深草少将を初め当時の貴公子たちから小町に寄せられた千束の文を埋めたとされる。

随心院門跡 小野小町略縁起

随心院御朱印(平成6年文化の日に拝受)

随心院令和元年秋季限定御朱印

説明書籍 ¥500

TVで紹介された随心院門前南の山科わかさ屋で珈琲ブレイク

抹茶大福&珈琲大福 どちらも¥220

山科郵便局 : 小野随心院、小野小町文塚、疎水
[参考書]
新品価格 | ![]() |

新品価格 | ![]() |

新品価格 | ![]() |

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング

御朱印ランキング

にほんブログ村

にほんブログ村