<コース>
東梅田 → (谷町線) → 谷町九丁目 → 徒歩10分 → 生國魂神社

生國魂神社(旧官幣大社 式内社)
この日は昼過ぎからの凸凹シンポジウム出席前に上町台地を散策。
スタートに際して駅の西側に鎮座するのが生國魂神社に参拝。
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、神武天皇即位に遡る伝承がある古社。
御祭神は、生島大神、足島大神、大物主大神の三柱で国土の守護神でもあります。
正史には孝徳天皇の難波宮の造営に当たり当社の樹木が用いられたのが嚆矢。
かつては、今の大坂城の位置に鎮座し、中世には隣接して石山本願寺も建立されました。
地政学的にも重要な場所だったので、石山寺合戦の後、豊臣秀吉によって現在の場所に移転。
その後、近世にも地域の崇拝を受け、明治以降には最高位の官幣大社に位置付けられるなど
難波第一の宮としての威容を誇っています。元来は国土の守護神でしたが、
今は境内には様々な社が鎮座しており、難波の商人魂を感じました。

入口の石の大鳥居

鳥居には寄進者の鳥井信治郎の名前が

鳥居から谷町筋に向かう参道

拝殿
境内には七五三祝いの家族が。

本殿参拝後は生玉の杜散策道へ

生玉の杜
都心にありながら楠などの木々に囲まれている。

神社北門

生玉真言坂
北門から北に向かう坂で天王寺七坂の一つ。この周辺に真言宗の生玉十坊があった事が名前の理由。

境内には十社を越える社が祀られている

一番北側にある浄瑠璃神社
文楽及び女義太夫の物故者を祭神として祀る。近松の『曽根崎心中』 の発端はここ。

井原西鶴坐像
生玉の杜の入口にある。

織田作之助像

米澤彦八の碑
京都で露五郎兵衛によって始められた上方落語は、大阪ではこの境内を舞台に彦八によって広められた。

彦八由緒記

いくたまさん説明書

生國魂神社御朱印
古代の大阪は南北に連なる上町台地より成り三方を海に囲まれた場所。
潮の流れが急であった事からなみはや・なにわ(難波・浪速)と呼ばれました。
台地の東は淀川と、古大和川が注ぎ込む内湖で大小の島々が形成されました。
これが八十島で、長い年月をかけて陸地化して現在の大阪の地形ができあがりました。
今に残る福島、堂島、弁天島の地名が古の大阪の変遷を表しています。
お江戸八百八町に対して、難波は八百八橋というのもこのような地形によるのでしょう。
参拝の後は天王寺方面までウォーキング。南北に寺院が連なり東西には急な坂が続きます。
これが大坂の由来でしょうが、難波は八百八坂とも呼べるでしょう。
ブラタモリなどで地形を歩いて辿るのがブームなので、これから歩く人が増えそうではあります。

神社の南にある源聖寺坂
坂の下の右手にあるのが源聖寺。

口縄坂
坂の下から眺めた時に道の起伏が口縄(蛇)に似ている事に由来。

鎌倉時代の歌人・藤原家隆の墓
ここで夕陽を眺めた事から夕陽丘の地名になった。

愛染坂
愛染さんがあるためで、アイゼンを付けて登る訳ではない。

上町台地一体の地形
[参考書]
大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27) 新品価格 | ![]() |

新品価格 | ![]() |

ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング

御朱印ランキング

にほんブログ村

にほんブログ村