<コース>
JR大阪 → JR高槻 → 高槻駅北 → 市営バス18分 → 神峰山口 → 徒歩10分 → 神峰山寺 → 徒歩45分 → 本山寺

北山 霊雲院 本山寺(天台宗)
神峯山寺参拝の後は、更に山道を3㎞程奥へ。
車道が途中で終わった後は、車も行き違いも困難な東海自然歩道を歩いて標高520mの山間に。
神峯山寺で聞くと「片道105分みておいて下さい。」との話でしたが、
ひたすら歩いたら45分で着きました。

神峯山寺の東から本山寺への道を進む

途中、台風で倒壊した木々を見る

寺の入口にある勧進掛
元来は参道脇の老松樹の間に12本の注連縄を掛け神の来光を乞うものだが、後にはその長短で豊作と物価の高低を占った。

中の門に到着
北山霊雲院本山寺(きたやまりょううんいんほんざんじ)は、
『696年、役小角が葛城山で修行中、この辺りに五色の彩雲がたなびくのを見て、
榧の木に毘沙門天を刻み草庵を結んだのが始まり。
その後、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の第一皇子・開成阿闍梨が堂宇を建立した。
戦国時代は松永久秀が所領を寄進、三好長慶や高山右近が安堵状を出したが
天正10年(1582年)の山崎の合戦で焼失。慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建された。
江戸時代には高槻城主永井氏や皇室の崇敬を受け、
宝暦年間(1705年頃)には将軍綱吉生母・桂昌院により大修理された。』 とあります。

中の門近影

中の門から境内方面を見る

右は石垣、左は崖という参道を進む
参道には楓と銀杏が敷かれている。

石垣に繁茂する杉苔と羊歯

庫裏の前から本堂を望む
細かい箇所は異なりますが、内容は先程訪れた神峯山寺と酷似。
本尊も毘沙門天で入口に勧請掛があったのも同じでした。
寺院は崖に沿って歩き更に階段を上った場所。本堂にお参りする前に寺務所に伺う事に。
幸い御住職が居られたので御朱印拝受。梵字を割り箸の様な変わった筆で書かれたので、
尋ねると筆ではなく刷毛との事でした。由緒を伺うと
住職;「かつては神峯山寺の奥の院という扱いで、神峯山寺が中の院。
ここの住職は年配になると麓の安岡寺に隠居しました。」
との事。この後、参拝予定の寺が隠居所とは初耳。
安岡寺の山号が南山、ここが北山と対応しています。

庫裏入口

庫裏近影
御朱印はここで拝受。

本山寺御朱印
この梵字が刷毛で書いたもので、毘沙門を表す。

急な石段を上った先に本堂が見える

石段を上った先から
本堂へ続く廻廊。

十三重石塔と本堂

本堂正面

本堂の扁額

本堂右奥の道を通ると京都府との県境ポンポン山(標高678m)に

本堂から庫裏へ続く廻廊

本堂脇の開山堂
本堂への階段を上ると眼下に市内が見えます。
境内には楓や銀杏が彩を添えていますが、神峯山寺ではそれなりに居た観光客も殆どいない状態。
やはり山奥にあるのがネックなのでしょう。
参拝を終えて降りて来ると鐘楼の脇で御住職が落ち葉を集めて居られました。
和辻;「境内は楓と銀杏が多いですね。」
住職;「殆どが楓で、銀杏はここにある雄株と雌株1本だけですよ。」
和辻;「銀杏は食用に植えているのですか?」
住職;「いいえ、防火です。葉っぱも湿気を含んで燃えにくいし、火に囲まれて幹が爛れても蘇生しますわ。」
和辻;「銀杏(ぎんなん)が周囲に落ちてますけど、ここから芽は出ないのですか?」
住職;「銀杏は周辺に新たな木が成長するのを抑える物質を出すようですね。」
以前、熊本城に銀杏が多いのは籠城の際の食糧と訊いていたので、
防火のためとは初めて知りました。御住職の自然に関する知識も相当なものでした。
御住職は御夫婦でここに居住されているそうで、
買い物時のみ町に買出しに行かれるそうです。
御家族だけの生活となれば、色々な知識も自然と身に着くのでしょう。
今は別の寺院となっていますが、元々は同祖であったようです。
神峯山寺が有名なので、本山寺は付録のように思われますが、
元来はここに本尊があった筈。
お参りが大変なので山を下った所に神峯山寺ができたのでしょう。
寺号も本山寺なのでこちらの方が無理が少ない気がします。

本堂前から市内を望む

石段付近の景色

石段途中から見た紅葉

石段から見た庫裏

鐘楼前から庫裏方面を見る

石段下の清浄水
御住職の話では敷石の下に沢蟹が穴を掘って水が漏れているとか。

鐘楼と大銀杏(雄株)
地面は銀杏で黄色の絨毯に。

参拝後、紅葉の参道を中の門へ

本山寺説明書
[参考書]
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