fc2ブログ

桓武天皇 決断する君主 (岩波新書 新赤版 1983)

新品価格
¥1,166から
(2023/9/7 04:48時点)

タイトル画像

本山寺(大阪府高槻市) 日本三毘沙門天

2019.12.13(23:33) 505

奥の院か本山か?(2019.12.3)

<コース>
JR大阪 → JR高槻 → 高槻駅北 → 市営バス18分 → 神峰山口 → 徒歩10分 → 神峰山寺 → 徒歩45分 → 本山寺

192-2-1.jpg
北山 霊雲院 本山寺(天台宗)

 神峯山寺参拝の後は、更に山道を3㎞程奥へ。

車道が途中で終わった後は、車も行き違いも困難な東海自然歩道を歩いて標高520mの山間に。

神峯山寺で聞くと「片道105分みておいて下さい。」との話でしたが、

ひたすら歩いたら45分で着きました。

192-2-2.jpg
神峯山寺の東から本山寺への道を進む

192-2-3.jpg
途中、台風で倒壊した木々を見る

192-2-4.jpg
寺の入口にある勧進掛
元来は参道脇の老松樹の間に12本の注連縄を掛け神の来光を乞うものだが、後にはその長短で豊作と物価の高低を占った。

192-2-5.jpg
中の門に到着

北山霊雲院本山寺(きたやまりょううんいんほんざんじ)は、

『696年、役小角が葛城山で修行中、この辺りに五色の彩雲がたなびくのを見て、

榧の木に毘沙門天を刻み草庵を結んだのが始まり。

その後、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の第一皇子・開成阿闍梨が堂宇を建立した。

戦国時代は松永久秀が所領を寄進、三好長慶や高山右近が安堵状を出したが

天正10年(1582年)の山崎の合戦で焼失。慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建された。

江戸時代には高槻城主永井氏や皇室の崇敬を受け、

宝暦年間(1705年頃)には将軍綱吉生母・桂昌院により大修理された。』 とあります。

192-2-6.jpg
中の門近影

192-2-7.jpg
中の門から境内方面を見る

192-2-8.jpg
右は石垣、左は崖という参道を進む
参道には楓と銀杏が敷かれている。

192-2-9.jpg
石垣に繁茂する杉苔と羊歯

192-2-10.jpg
庫裏の前から本堂を望む

 細かい箇所は異なりますが、内容は先程訪れた神峯山寺と酷似。

本尊も毘沙門天で入口に勧請掛があったのも同じでした。

 寺院は崖に沿って歩き更に階段を上った場所。本堂にお参りする前に寺務所に伺う事に。

幸い御住職が居られたので御朱印拝受。梵字を割り箸の様な変わった筆で書かれたので、

尋ねると筆ではなく刷毛との事でした。由緒を伺うと

住職;「かつては神峯山寺の奥の院という扱いで、神峯山寺が中の院。

ここの住職は年配になると麓の安岡寺に隠居しました。」

との事。この後、参拝予定の寺が隠居所とは初耳。

安岡寺の山号が南山、ここが北山と対応しています。

192-2-11.jpg
庫裏入口

192-2-12.jpg
庫裏近影
御朱印はここで拝受。

192-2-30.jpg
本山寺御朱印
この梵字が刷毛で書いたもので、毘沙門を表す。

192-2-14.jpg
急な石段を上った先に本堂が見える

192-2-15.jpg
石段を上った先から
本堂へ続く廻廊。

192-2-16.jpg
十三重石塔と本堂

192-2-17.jpg
本堂正面

192-2-18.jpg
本堂の扁額

192-2-19.jpg
本堂右奥の道を通ると京都府との県境ポンポン山(標高678m)に

192-2-20.jpg
本堂から庫裏へ続く廻廊

192-2-21.jpg
本堂脇の開山堂

 本堂への階段を上ると眼下に市内が見えます。

境内には楓や銀杏が彩を添えていますが、神峯山寺ではそれなりに居た観光客も殆どいない状態。

やはり山奥にあるのがネックなのでしょう。

 参拝を終えて降りて来ると鐘楼の脇で御住職が落ち葉を集めて居られました。

和辻;「境内は楓と銀杏が多いですね。」

住職;「殆どが楓で、銀杏はここにある雄株と雌株1本だけですよ。」

和辻;「銀杏は食用に植えているのですか?」

住職;「いいえ、防火です。葉っぱも湿気を含んで燃えにくいし、火に囲まれて幹が爛れても蘇生しますわ。」

和辻;「銀杏(ぎんなん)が周囲に落ちてますけど、ここから芽は出ないのですか?」

住職;「銀杏は周辺に新たな木が成長するのを抑える物質を出すようですね。」

以前、熊本城に銀杏が多いのは籠城の際の食糧と訊いていたので、

防火のためとは初めて知りました。御住職の自然に関する知識も相当なものでした。

 御住職は御夫婦でここに居住されているそうで、

買い物時のみ町に買出しに行かれるそうです。

御家族だけの生活となれば、色々な知識も自然と身に着くのでしょう。

今は別の寺院となっていますが、元々は同祖であったようです。

神峯山寺が有名なので、本山寺は付録のように思われますが、

元来はここに本尊があった筈。

お参りが大変なので山を下った所に神峯山寺ができたのでしょう。

寺号も本山寺なのでこちらの方が無理が少ない気がします。

192-2-22.jpg
本堂前から市内を望む

192-2-23.jpg
石段付近の景色

192-2-24.jpg
石段途中から見た紅葉

192-2-25.jpg
石段から見た庫裏

192-2-26.jpg
鐘楼前から庫裏方面を見る

192-2-13.jpg
石段下の清浄水
御住職の話では敷石の下に沢蟹が穴を掘って水が漏れているとか。

192-2-27.jpg
鐘楼と大銀杏(雄株)
地面は銀杏で黄色の絨毯に。

192-2-28.jpg
参拝後、紅葉の参道を中の門へ

192-2-29.jpg
本山寺説明書

[参考書]

大阪府の歴史散歩 上 大阪市・豊能・三島 (歴史散歩 27)

新品価格
¥1,320から
(2019/12/13 23:26時点)



役行者霊蹟札所めぐり

新品価格
¥1,650から
(2019/12/13 23:28時点)




ランキングにポチっと応援頂ければ嬉しいです!

神社・お寺巡りランキング


御朱印ランキング


にほんブログ村


にほんブログ村
スポンサーサイト





和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


大阪府 トラックバック(-) | コメント(0) | [EDIT]
<<高槻観音(大阪府高槻市) 街中にある古刹の札所 | ホームへ | 神峯山寺(大阪府高槻市) 日本最初毘沙門天の寺院>>
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する