イキな神様(2019.12.4)
<コース>
阪急梅田 → 桂 → 上桂 → 徒歩10分 → 浄住寺 → 徒歩5分 → 地蔵院 → 徒歩10分 → 月読神社

月読神社(式内社 松尾大社境外摂社)
朝から寺院の参拝が続きましたが、今度は神社。
地蔵院から北へ500m程ですが、道が曲がっていたので10分掛かりました。
月読神社(つきよみじんじゃ)は、由緒に拠れば
『顕宗天皇3年(487年)、任那への使者に月神からの神託があり、
この地に社を賜ったのが始まり。祭神はイザナミから生まれた
月読尊、天照大神や素戔嗚尊の兄弟に当たる。
当初は桂川左岸にあったとされるが、斉衡3年(856年)にここ松尾山麓に遷座。
同時に祠官の名も松室に改めた。
鎮座以来皇室の崇敬を受け、貞観元年(859年)には正二位、
延喜6年(906年)には正一位に叙せられた。
京都では最も古い歴史と格式を持った神社である。』 とあります。

地蔵院から西芳寺川を渡り月読へ

神社入口へ到着

鳥居を過ぎ石段を上る

石段脇の紅葉

神門

由緒記
但し月読神社は壱岐が本社で上記の内容は壱岐氏の由緒、
山城には分社が勧進されたと言われます。
壱岐県主は中国から亀卜の技術を伝え中央に伝播した一族で、
神祇官にあって卜占に関与していたとされます。
壱岐は大陸からの文明が伝わる要衝にあったので
その重要性から畿内に分社されたのでしょう。
そうならば都のあった大和に祀られる筈ですが、
山城という事はここを本拠にした秦氏が与ったと思われます。
御祭神の月読尊は天照大神、素戔嗚尊の兄弟ですが知名度は今一つ。
本来の神は大和の神とは別系統の大陸由来の神でしたが、
後に大和と結び付けるために月読尊を持って来たと考えても
【月読】ならぬ深読みにはならないでしょうが…。

入母屋造、銅板葺の拝殿

流造、檜皮葺の本殿

本殿右の聖徳太子社と月延石
背後の山はかつての磐座か?

安産の神として信仰されている月延石

天鳥舟命を祀る御船社

願掛け陰陽石

解穢の水で清める

月読神社由緒記

月読神社御朱印
[参考書]


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月読神社(式内社 松尾大社境外摂社)
朝から寺院の参拝が続きましたが、今度は神社。
地蔵院から北へ500m程ですが、道が曲がっていたので10分掛かりました。
月読神社(つきよみじんじゃ)は、由緒に拠れば
『顕宗天皇3年(487年)、任那への使者に月神からの神託があり、
この地に社を賜ったのが始まり。祭神はイザナミから生まれた
月読尊、天照大神や素戔嗚尊の兄弟に当たる。
当初は桂川左岸にあったとされるが、斉衡3年(856年)にここ松尾山麓に遷座。
同時に祠官の名も松室に改めた。
鎮座以来皇室の崇敬を受け、貞観元年(859年)には正二位、
延喜6年(906年)には正一位に叙せられた。
京都では最も古い歴史と格式を持った神社である。』 とあります。

地蔵院から西芳寺川を渡り月読へ

神社入口へ到着

鳥居を過ぎ石段を上る

石段脇の紅葉

神門

由緒記
但し月読神社は壱岐が本社で上記の内容は壱岐氏の由緒、
山城には分社が勧進されたと言われます。
壱岐県主は中国から亀卜の技術を伝え中央に伝播した一族で、
神祇官にあって卜占に関与していたとされます。
壱岐は大陸からの文明が伝わる要衝にあったので
その重要性から畿内に分社されたのでしょう。
そうならば都のあった大和に祀られる筈ですが、
山城という事はここを本拠にした秦氏が与ったと思われます。
御祭神の月読尊は天照大神、素戔嗚尊の兄弟ですが知名度は今一つ。
本来の神は大和の神とは別系統の大陸由来の神でしたが、
後に大和と結び付けるために月読尊を持って来たと考えても
【月読】ならぬ深読みにはならないでしょうが…。

入母屋造、銅板葺の拝殿

流造、檜皮葺の本殿

本殿右の聖徳太子社と月延石
背後の山はかつての磐座か?

安産の神として信仰されている月延石

天鳥舟命を祀る御船社

願掛け陰陽石

解穢の水で清める

月読神社由緒記

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