御本尊とパトロンの話(2019.12.6)
<コース>
京阪淀屋橋 → (京阪電鉄) → 出町柳 → (叡山電鉄) → 一乗寺 → 徒歩8分 → 詩仙堂 → 徒歩5分 → 北山別院 → 徒歩5分 → 金福寺 → 徒歩20分 → 真如堂

鈴聲山 真正極楽寺(天台宗)
白川通から今出川通を越えて真如堂へ。洛東というよりも京都屈指の紅葉の名所。
以前は紅葉とは無関係な季節に訪れたので、今回は紅葉を見るべく参拝。
北門から入りましたが、改めて総門へ回ると三重塔へと至る参道や本堂裏手は紅葉づくし。
赤いライトを浴びたような感じでした。加えて総門も朱色で通称赤門。
吉田神社の神様が夜にお参りに来る際に躓かないように敷居がないそうです。
東大に赤門があるのは知っていましたが、兄弟の近くにも赤門があるとは初耳でした。
尤もこちらは敷居が高そうですが…。
入口から総門を過ぎ、三重塔を右手に見て進むと正面が本堂。
移転を繰り返したためか、建物に国宝はなく本堂のみが重文でした。
この間、参道には紅葉が彩を添え、本堂裏手まで続いていました。
紅葉の名所ながら境内の紅葉拝観は全て無料。京都市内の寺院では珍しい例に思えます。
この日は特別拝観で本堂内と渡り廊下で繋がった書院と庭の拝観が可能。
¥1000は高額でしたが、年一回の事でもあり【後学】の為に拝観しました。

寺標と総門
元禄8年(1695年)完成。

総門近影
正面に本堂が見える。

総門前の楓

本堂へと続く参道の両脇も紅葉

石段横の青銅の灯篭

真如堂由緒

参道右の脇道

脇道は紅葉のトンネルと苔と紅葉の絨毯

脇道を上るにつれて紅葉から銀杏へ移り変わる

脇道の上からの眺め

銀杏越しに見る三重塔

参道上から総門を振り返る

文化14年(1817年)再建の三重塔
多宝塔を祀った本瓦葺で高さ40m。写真のスポットでもある。


享保2年(1717年)再建の重文・本堂
七間三面の総欅、本瓦葺の入母屋造。

本堂前面の「真如堂」の扁額

本堂前面の造り
鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)は、
『永観2年(984年)、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を、
この近くにあった一条天皇生母・東三条院の寝殿に安置したのが始まり。
戒算(かいさん)上人を【開山】とする。その後、一条天皇の勅願寺となり
不断念仏の道場として【普段】から女人の深い帰依を受けた。
しかし応仁文明の内乱で堂宇は焼失。本尊は比叡山、穴太と遷座した。
その後、日野富子の帰依を受け旧地に戻るが、室町、西洞院、今出川と
移転&焼失を繰り返し、元禄6年(1693年)になって漸く現在の地に落ち着いた。』 とあります。
本尊を勝手に持ってきたらアカンやろうと思いますが、
そこには謂れがあって、戒算上人と東三条院の夢枕に立った老僧のお告げに拠るとか。
その際に、「都に下って、総ての人々、特に女性を御救い下さい。」と願うと、
阿弥陀様が三度頷いたので「頷きの阿弥陀」と呼ばれるようになったと言います。
「仏の顔も三度まで」の諺は無関係のようですが…。
恐らく、天皇の御生母のために比叡山から本尊を移設しようとした際の理由付け。
御生母か天皇か、いずれの望みかは分かりませんが
叡山としても朝廷の意向は無視できなかったものと思えます。

本堂廊下を巡り渡り廊下を通って書院へ

本堂裏手の紅葉の林

地面は紅葉の絨毯

紅葉の向こうに見える薬師堂
書院の間には四条派の絵画が描かれえていましたが、
珍しいのは「涅槃の庭」と「隨縁の庭」。前者は大文字山を背景に、
釈迦が入寂されその周りを弟子が囲んで悲しんでいる様子を石で再現したもの。
後者は、幾何学的な文様の小さな庭。なんでもここは三井家の菩提寺だそうで、
三井家家紋の「四つ目紋」に因んだデザインだそう。勿論、大檀家に違いなく、
寺が気を効かせたというよりも三井家が全面的に費用を負担したのでしょう。
平安時代も、現在も財産に余裕のある人はこの世に極楽を再現したいと思うのでしょう。
お釈迦様がそれを【れいしょう】するかどうかは分かりませんが…。

書院を拝観して「涅槃の庭」へ

涅槃の庭
1988年、曽根三郎氏による作庭。後ろの大文字山を借景とし、北(向かって左)を頭にしたお釈迦様が入寂し、周囲を弟子たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子を表したもの。

「涅槃の庭」右側

燈明寺石灯籠
鎌倉時代に山城の国燈明寺に伝わり、三井家を経て当寺に寄進された。

隨縁の庭
2010年、重森三玲氏の孫・千青氏によって作庭された。

庭は三井家家紋「四ツ目」に因んでデザインされた

庭の背後の仏殿の蟇股に付けられた三井家家紋

書院の中庭

中庭には特別名前が付けられていないが、茶室を控えて優美な造りである

朱と黄色の実が映える

本堂裏手の階段
但し、ここからは入れない。

本堂の廻廊から見た紅葉の林
見頃も過ぎて樹木よりも地面の紅葉の方が多い。

紅葉のトンネル

本堂を回って出口へ

本堂より三重塔を見る

本堂裏手に進む

裏手から本堂を見る

真如堂説明書

真如堂御朱印(平成9年拝受)
墨書も印も流麗だが、右上の印が逆になってしまったのが残念。

真如堂御朱印
今回は上下の向きは問題なし。
[参考書]



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鈴聲山 真正極楽寺(天台宗)
白川通から今出川通を越えて真如堂へ。洛東というよりも京都屈指の紅葉の名所。
以前は紅葉とは無関係な季節に訪れたので、今回は紅葉を見るべく参拝。
北門から入りましたが、改めて総門へ回ると三重塔へと至る参道や本堂裏手は紅葉づくし。
赤いライトを浴びたような感じでした。加えて総門も朱色で通称赤門。
吉田神社の神様が夜にお参りに来る際に躓かないように敷居がないそうです。
東大に赤門があるのは知っていましたが、兄弟の近くにも赤門があるとは初耳でした。
尤もこちらは敷居が高そうですが…。
入口から総門を過ぎ、三重塔を右手に見て進むと正面が本堂。
移転を繰り返したためか、建物に国宝はなく本堂のみが重文でした。
この間、参道には紅葉が彩を添え、本堂裏手まで続いていました。
紅葉の名所ながら境内の紅葉拝観は全て無料。京都市内の寺院では珍しい例に思えます。
この日は特別拝観で本堂内と渡り廊下で繋がった書院と庭の拝観が可能。
¥1000は高額でしたが、年一回の事でもあり【後学】の為に拝観しました。

寺標と総門
元禄8年(1695年)完成。

総門近影
正面に本堂が見える。

総門前の楓

本堂へと続く参道の両脇も紅葉

石段横の青銅の灯篭

真如堂由緒

参道右の脇道

脇道は紅葉のトンネルと苔と紅葉の絨毯

脇道を上るにつれて紅葉から銀杏へ移り変わる

脇道の上からの眺め

銀杏越しに見る三重塔

参道上から総門を振り返る

文化14年(1817年)再建の三重塔
多宝塔を祀った本瓦葺で高さ40m。写真のスポットでもある。


享保2年(1717年)再建の重文・本堂
七間三面の総欅、本瓦葺の入母屋造。

本堂前面の「真如堂」の扁額

本堂前面の造り
鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)は、
『永観2年(984年)、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を、
この近くにあった一条天皇生母・東三条院の寝殿に安置したのが始まり。
戒算(かいさん)上人を【開山】とする。その後、一条天皇の勅願寺となり
不断念仏の道場として【普段】から女人の深い帰依を受けた。
しかし応仁文明の内乱で堂宇は焼失。本尊は比叡山、穴太と遷座した。
その後、日野富子の帰依を受け旧地に戻るが、室町、西洞院、今出川と
移転&焼失を繰り返し、元禄6年(1693年)になって漸く現在の地に落ち着いた。』 とあります。
本尊を勝手に持ってきたらアカンやろうと思いますが、
そこには謂れがあって、戒算上人と東三条院の夢枕に立った老僧のお告げに拠るとか。
その際に、「都に下って、総ての人々、特に女性を御救い下さい。」と願うと、
阿弥陀様が三度頷いたので「頷きの阿弥陀」と呼ばれるようになったと言います。
「仏の顔も三度まで」の諺は無関係のようですが…。
恐らく、天皇の御生母のために比叡山から本尊を移設しようとした際の理由付け。
御生母か天皇か、いずれの望みかは分かりませんが
叡山としても朝廷の意向は無視できなかったものと思えます。

本堂廊下を巡り渡り廊下を通って書院へ

本堂裏手の紅葉の林

地面は紅葉の絨毯

紅葉の向こうに見える薬師堂
書院の間には四条派の絵画が描かれえていましたが、
珍しいのは「涅槃の庭」と「隨縁の庭」。前者は大文字山を背景に、
釈迦が入寂されその周りを弟子が囲んで悲しんでいる様子を石で再現したもの。
後者は、幾何学的な文様の小さな庭。なんでもここは三井家の菩提寺だそうで、
三井家家紋の「四つ目紋」に因んだデザインだそう。勿論、大檀家に違いなく、
寺が気を効かせたというよりも三井家が全面的に費用を負担したのでしょう。
平安時代も、現在も財産に余裕のある人はこの世に極楽を再現したいと思うのでしょう。
お釈迦様がそれを【れいしょう】するかどうかは分かりませんが…。

書院を拝観して「涅槃の庭」へ

涅槃の庭
1988年、曽根三郎氏による作庭。後ろの大文字山を借景とし、北(向かって左)を頭にしたお釈迦様が入寂し、周囲を弟子たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子を表したもの。

「涅槃の庭」右側

燈明寺石灯籠
鎌倉時代に山城の国燈明寺に伝わり、三井家を経て当寺に寄進された。

隨縁の庭
2010年、重森三玲氏の孫・千青氏によって作庭された。

庭は三井家家紋「四ツ目」に因んでデザインされた

庭の背後の仏殿の蟇股に付けられた三井家家紋

書院の中庭

中庭には特別名前が付けられていないが、茶室を控えて優美な造りである

朱と黄色の実が映える

本堂裏手の階段
但し、ここからは入れない。

本堂の廻廊から見た紅葉の林
見頃も過ぎて樹木よりも地面の紅葉の方が多い。

紅葉のトンネル

本堂を回って出口へ

本堂より三重塔を見る

本堂裏手に進む

裏手から本堂を見る

真如堂説明書

真如堂御朱印(平成9年拝受)
墨書も印も流麗だが、右上の印が逆になってしまったのが残念。

真如堂御朱印
今回は上下の向きは問題なし。
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