<コース> 冬の青春18きっぷ使用
【往路】JR大阪(6:51) → JR姫路(7:56→8:01) → JR岡山(9:29→9:31) → JR三原(11:09→11:30) → JR竹原(12:11)
竹原市観光案内所 → (レンタサイクル10分) → たけはら街並保存地区 → 西方寺

引接山 西方寺(浄土宗)
冬の18きっぷの初日は頼山陽ゆかりの山陽路へ。
今まで大阪から日帰りの最西端は広島県。今日はその再現となりました。
竹原は三原から呉線で30分。平安時代には下鴨神社の荘園。
中世には竹原小早川氏の拠点となり、江戸時代には備後最大規模の塩田経営で栄えました。
本川沿いの東の上市・下市には今でも漆喰海鼠壁の古い町並みが残り安芸の小京都と呼ばれます。
竹原に入浜式塩田が出来たのは慶安3年(1650年)、赤穂の技術が導入されました。
その後の発展は目覚ましく、50年後の元禄12年(1699年)には25万俵を生産。
全国各地に送られました。その繁栄が竹原の町を造った訳ですが、
今に残る家は塩田経営から業種転換したものが多いようです。
本町通に面した竹鶴酒造もその一つ。
塩業から享保18年に酒造業に転じ「小笹屋」の屋号で知られます。
ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝の生家でもありました。
27年前には観光客も疎らでしたが今は結構な人出。
NHKの朝の連続ドラマの影響でしょうか?

JR呉線竹原駅舎
町のシンボル竹をイメージしたデザイン。

鳥羽町通りから左の本町通へ
右は旧笠井邸。

本町通の東にある竹鶴酒造
江戸中期に「小笹屋」の屋号で塩造りを行ったが、享保18年(1733年)に酒造業にも進出。現在に至るまで現役だが、工場見学はしていない。

本町通西側の松阪邸
唐破風の流れるような屋根と菱格子の塗り込め窓が特徴の商家。

町家を利用したカフェ

同じく町家を利用した宿泊所
1日1組限定というパターンか?屋根の向こうには普明閣の屋根も見える。

本町通りを南に向いた光景

旧郵便局の上吉井邸
右の坂を上ると西方寺へ。
街並み保存地区の半ばを山に向かうと西方寺。
引接山西方寺(いんしょうざんさいほうじ)は
『元々、東側の田中町にあった禅宗寺院であるが、慶長15年(1610年)の大火で焼失。
現在の場所へ移り浄土宗に改宗。本堂は元禄15年(1702年)に再建された。
本堂横を上っていくと高台に建つのが西方寺観音堂、一般には普明閣の名で知られる。
小早川隆景の創建で京都の清水を模したとされる舞台造りだが、
現在の建物は宝暦8年(1758年)の建築。
また本尊は平重盛の念持仏だったと伝わる十一面観音であるが
現在は普明閣ではなく収蔵庫に保管されている。』 とあります。

階段の先に山門が見える

西方寺は高台に建つので遠くからは城塞のような造りに見える

山門から街並みを見下ろす

山門近影

本堂正面

本堂前面の「西方寺」の扁額

本堂の欄間彫刻

本堂から山門方面を見返る

境内から竹原の古い町並みを一望

十一面観音像を納める守護堂(右)と庫裏の間を抜けて普明閣へ
街並み保存地区から直ぐの場所にあり、ここからは街並みが見渡せ、
また街並みからは寺が見えるという位密接な関係のある寺院ですが、
創建時と現在の間には【不明確】な点もあるようです。
四半世紀前に訪れた時には普明閣から街並みを見ましたが、
今回は修理中のため登楼できず仕舞い。
来年を目途に完成するようですので、それ以降に再訪する必要がありそうです。
尤も昔と違って高台に上って【マッサン】にならないとも限りませんが…。

京都の清水を模したとされる普明閣

本来ならば、この舞台から街並みが見渡せる

正面から見た普明閣

普明閣の扁額


北方面を見た所

登楼は修復中のため禁止

裏手の墓地から見た普明閣の屋根

普明閣へと続く廻廊

高台からの境内と街並み

西方寺御朱印(平成5年拝受)
今回、本堂前に3種の書置き御朱印があったが、このタイプはなかった。

今回、拝受した御朱印
日付は自身で押す。
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