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大念仏寺・全興寺 (大阪市平野区)  庶民の町の色とりどりの御朱印

2018.09.26(22:43) 6

[大念仏寺] ブログ村キーワード
坂上田村麻呂ゆかりの町と町ぐるみ博物館 (2018.8.26)
 
 地蔵盆の名残の夏休み最後の日曜日は大阪市内で人口20万人と最多の平野区へ。

平野の歴史は古く聖徳太子がお堂を建てたのに始まり、平安初期に坂上田村麻呂の息子の広野麻呂が屋敷を構えて発展。

平野の名前は広野麻呂に由来しています。父親なら田村となったでしょうか。

中世以降は河内平野の産物の集散地、奈良街道の要衝として発展。堺と同じ町人自治権を持った環濠集落として発展しました。

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京町筋にある坂上広野麻呂邸跡の碑
別名広野麻呂筋。

難読名として知られる杭全神社(くまたしんじゃ)の由来は古く、

坂上広野麻呂が杭全荘を賜り、その子当道が氏神として勧進したのが始まり。

その後、建久元年(1190年)及び元享元年(1321年)に熊野権現を勧進し熊野権現総社になり、明治期に杭全神社となりました。

平野は太平洋戦争で空襲を受けませんでしたが環濠の名残は杭全神社周辺に残るのみ。

遺跡を破壊するのは戦争よりも開発に拠るとはよく言ったものです。

杭全の名は残りましたが、環濠集落は【杭】の残る事となりました。

余談ですが、この辺りでは先の戦とは大坂夏の陣の事を言うのだとか!

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杭全神社入口と大楠
坂上広野麻呂が杭全荘を賜り、その子当道が氏神として862年に素戔嗚尊を勧進したのが始まり。難読名で有名だが平野と並んで由緒がある。

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杭全神社拝殿

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杭全神社拝殿裏の第二殿 
永正10年(1513年)修造。

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環濠集落跡  
杭全神社東側に僅かに残るのみ。右が杭全神社の境内。

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杭全神社御朱印

 府内で伝統的街並み建造物群は富田林一ヵ所ですが、平野にもかつての街並みがちらほらと残っています。

そんな場所にあるのが、王舎山長生院長寶寺(おうしゃざんちょうせいいんちょうほうじ)。

寺伝に拠れば、

『創建は大同年間(806~810年)で、桓武帝の妃であった広野麻呂の妹・春子が天皇崩御の後、

剃髪して慈心大姉としてここに庵を結んだのが始まり。

南北朝時代には後醍醐天皇がここに仮の皇居を置いたため、王舎山の山号を賜っています。

 しかし、大坂夏の陣で総て焼失。本堂と庫裏は天保年間に再建されました。』

歴史ある真言宗の古刹ですが、物は新しい。その代わり、住職は代々坂上家の女性が務めるという伝統は続いているようです。

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王舎山長生院長寶寺(高野山真言宗)

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長寶寺本堂
本尊は十一面観音で秘仏。

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本堂入口の閻魔様
一緒に撮影できるそうですが…。

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長寶寺御朱印

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藤岡家
江戸期は油商。200年前にここの領主だった土井大炊守の要請で播磨からここに移る。

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藤岡家玄関
当主の御厚意で見学。100年以上前に作った扇子。

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末吉(西)家
坂上氏の末裔で、平野七名家の一家。

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江戸期には質屋を営んだ粕谷家

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江戸期の豪農であった松下家

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かたなの博物館;御刀研處 真澄庵

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亀乃饅頭
創業300年、亀饅頭が有名。

 大念佛寺は大治2年(1127年)創建の日本最初の念仏道場。

正式名は諸佛護念院大源山大念佛寺という念仏の様な名前で、融通念仏宗の総本山。

広大な敷地を持ち本堂は府下最大の木造建築。5月の「万部おねり」でも知られます。

この日は8月第四週の日曜日、年1回公開の幽霊を描いた十三の掛け軸を見学。

画家の名前は伝わっていないようですが、そのおどろおどろしい姿に汗も引きました。

見学者は結構居ましたが、拝観は無料。そのあたりが【融通】を効かせているようです。

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大念佛寺遠景

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諸佛護念院大源山大念佛寺(融通念仏宗総本山) 
1127年良忍上人(聖應大師)創建。山門の扁額は霊元天皇皇女宝鏡寺宮徳厳尼真筆。

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大念仏寺本堂  
総欅造り銅板葺き、昭和13年の再建だが大阪府下最大の木造建築。

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大念仏寺円通殿(観音堂)

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大念仏寺境内の「わた博物館」
これは綿を紡ぐもの。

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大念佛寺御朱印
天得如来とは阿弥陀如来と十菩薩の絵像を云う。

 その他にも今では町ぐるみで昔の建物をそのまま使い街かど博物館としています。お店が殆どですが見学は全て無料。

その中心となって動いているのが、平野薬師で知られる野中山全興寺(やちゅううざんぜんこうじ)。

商店街の中に入口があり「平野の町づくりを考える会」事務局がある他、境内には「駄菓子屋さん博物館」「地獄堂」もあって

平野の町ぐるみ博物館はここが中心となっています。

このように遊び心を持った寺ですが、由緒は古く

『飛鳥時代に聖徳太子が野原だったこの地に堂を建て、薬師如来を祀ったのが始まりで、

その後、周辺に町が形成された。全興寺の名は杭全を興す寺に由来している。』

と文字通り平野と共に歩んだお寺。皆、【薬師に惹かれて全興寺】となったのでしょう。

参拝後も町の博物館を見ながら駅まで移動。老舗の和菓子屋で木型見&甘味となりました。

古刹でありながら敷居が低いのが如何にも大阪といった所です。

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野中山全興寺(高野山真言宗)
聖徳太子が野中の地に建立した「平野」発祥の地。町ぐるみ博物館の中心。

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全興寺の地獄堂入口

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地獄堂に控える閻魔大王様

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全興寺境内の駄菓子屋さん博物館

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全興寺御朱印

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全興寺脇にある町屋を改装した「おもろ庵」

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新聞屋さん博物館;小林新聞舗
明治22年創業で、建物は昭和4年築。

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和菓子作り体験博物館;梅月堂西店
これは干菓子の木型。

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梅月堂にて「水まんじゅう入抹茶ミルク」

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