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北御堂(大阪市中央区)

2020.05.19(22:26) 615

未曽有の厄災退散を御堂でお参り(2020.5.11)

<コース>
梅田 → (地下鉄御堂筋線) → 本町 → 徒歩3分 → 坐摩神社 → 徒歩2分 → 南御堂 → 徒歩3分 → 北御堂

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西本願寺 津村別院(浄土真宗本願寺派)

 南御堂に続き地下鉄中央線を越えて北御堂へ。

南御堂は信長との講和に反対した教如上人が大坂に建てた寺院。

北御堂の沿革は次の様、

『織田信長との石山合戦で第11世・顕如上人は大坂本願寺を明け渡し京都へ移るが、

大坂から離れ難い門徒が天正19年(1591年)天満に近い「桜の岸」に新しい坊舎を建立。

その後、慶長2年(1597年)津村郷と呼ばれた現在地に移転。

石山本願寺を継承する位置付けであった。

慶長19年(1614年)、顕如の三男で第12世・准如上人が

石山本願寺を模した本堂・書院・広間・台所・玄関等を整備。

当初は津村別院・津村御坊と呼ばれるようになるが、

後に南御堂に対して北御堂と称されるようになった。

 享保9年(1724年)の大火で本尊以外は尽く焼失するが、

享保19年(1734年)に本堂、宝暦13年(1763年)に対面所が再建。

しかし昭和20年の大阪大空襲で灰燼に帰した。

現在の諸堂は昭和39年の復興である。』 とあります。

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御堂筋に面した山門

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北御堂沿革

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山門の向こうに見える本堂

 南御堂が強硬派の第12世の教如の手になったのに対し、

北御堂は講和派の門徒の手になったのが大きな違い。大阪人のパワーでしょうか?

 会社と見紛うような山門や、門徒以外にも開かれた本堂、内陣の装飾も南御堂と同じ。

いずれも壮大ですが、京都と異なり国宝はなし。

いかに大阪大空襲の影響が甚大だったかの証左です。

 南御堂と異なり御朱印はなしですが、その代わりに無料の北御堂ミューゼアムが設置。

教団と大阪の歴史がビジュアルに展示されており、

今日は駆け足でしたが改めてゆっくり鑑賞したい内容でした。

西本願寺の第22世・鏡如(大谷光瑞)は明治に西域に大谷探検隊を派遣した人物。

学問に対する姿勢は伝統のようです。

 京都市内でも最も広い堀川通りに本願寺がありますがこちらは東西。

大阪では南北。京都の寺院の場所から東西本願寺と呼ばれますが、

もし由緒から大阪を採用していたら南北本願寺となっていた事でしょう。

こちらが【本貫】とも言えるので難波っ子には残念な話です。

こうして90分で1社2寺巡礼しましたが、本町での所要は60分で終了。

これが本当の【本町】転倒です。

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本堂への階段
寺紋の下り藤が彼方此方に。

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開祖・親鸞聖人像
山門を入って右側に建つ。

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第8代・蓮如上人
中興の祖というよりも浄土真宗を現在の巨大な組織にまとめた功績が大。

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本堂前から山門を見る

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本堂正面

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北御堂説明書

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大阪府 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
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コメント
親鸞はもとより、蓮如さんの教えに至っては「最初に言葉ありき」の念仏第一思想でもっと単純明快な信仰だったと思うのに、後世の派閥争いがいつしかこの純粋な信仰すら南北ないし東西に隔ててしまったわけですね。
いまだに私は本願寺派、大谷派の寺院に行くのにどっちが東でどっちが西だったっけ?と迷いますが、池袋に買い物と同じで東に西武デパート、西に東部デパートがある、あの摩訶不思議な矛盾を思い出してしまいます。(笑)

ところで、古今未曽有を、ここんみぞうゆうと読んでしまった総理大臣がいらっしゃいましたが、コロナ発言では若者たちに「歯に衣着せぬ物言いがいい!」と人気を回復しているようです。
でも、それも歯にころも着せぬ、とか読んじゃうんでしょうね(獏)
少しは蓮如さんを見習って念仏でも唱えていればお顔もまっすぐになりそうな気がします。
【2020/05/20 01:05】 | 美雨 #- | [edit]
仏教もキリスト教もイスラム教も当初は新興宗教。

そこから世界宗教に発展するには、教団の成立、教義の確立など越えなければならない事があるようです。

譬えるならば、個人企業から大企業へと変わる節目とも言えるでしょう。

仏教でも他宗教でもそうでしょうが、時代が経つにつれて開祖の理念から遠ざかる傾向があるようです。

親鸞や蓮如が今の真宗をみたらどんな感想を述べるでしょうかね。

【2020/05/21 17:03】 | 和辻鉄丈 #- | [edit]
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