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善福院(和歌山県海南市) 初期の禅宗様式の釈迦堂

2020.07.30(22:21) 669

広福から善福へ(2020.6.29)

<コース> 紀州路快速は15分間隔、紀勢本線は30分間隔で運転
JR大阪(7:05) → (紀州路快速) → JR和歌山(8:27→8:41) → (紀勢本線) → JR海南(8:55) → 海南市物産観光センター → レンタサイクル40分 → 善福院

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宝遊山 広福寺 善福院 釈迦堂(天台宗)

 梅雨の合間に梅の里の紀州へ。世界遺産となった熊野古道・高野山が有名ですが、

何故か和歌山市のすぐ南の海南市下津地区には国宝が二ヵ寺。

 最寄駅はJRの加茂郷と下津ですが、どちらも駅から数キロある上に電車は30分毎。

それならばとJR海南駅構内の観光センターでレンタサイクル。

和歌山は起伏のある場所が多いですが、それも考慮して電動式。

二駅分の移動でトンネルも何ヵ所かありましたが、途中休憩することなく到着。

加茂郷駅手前を川に沿って東へ行き少し上った所が目指す寺院。

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道路沿いの案内板

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入口に到着

 宝遊山広福寺善福院釈迦堂(ほうゆうざんこうふくじぜんぷくいんしゃかどう)は、縁起に拠ると

『1214年、日本に臨済宗を伝えた栄西禅師により創建された広福禅寺が嚆矢。

室町時代後期にはこの地の豪族であった加茂氏の菩提寺に指定され、

七堂伽藍を有する大寺院として繁栄するが、豊臣秀吉の征伐に拠って加茂氏は没落。

広福禅寺も次第に廃れたので、高野山に頼って真言宗に改宗し寺の再興を計った。

 更に江戸時代、紀州に徳川家が入り、紀州徳川家の菩提寺候補になった際に、

紀州徳川家の命により真言宗から天台宗に改宗した。

 明治の廃仏希釈により衰頽し、子院であった善福院が広福禅寺の本尊及び釈迦堂等、

山内全てを管理する事となり、それ以降、善福院と呼ばれるようになった。

 釈迦堂は嘉暦2年(1327年)に建てられた禅宗様式の仏殿で、

全国で二番目に古く国宝に指定されている。』 とあります。

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石段を上る

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石段の先に見える寺院

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国宝・釈迦堂

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釈迦堂説明

 木々に囲まれた石段を上ると、釈迦堂が正面に。御朱印を御願いすると、

堂内の拝観と御住職が説明して下さいました。(拝観料¥200)

 元々、禅宗様式の建物ですが、他の禅宗様式の仏殿と異なる箇所が多い。

その理由として、日本に禅宗様式が定着する以前の、

中国直系に近い建物なのではないか? というのがその理由でした。

 内外観ともに妙心寺や大徳寺の仏殿に似ていますが、他宗派ながら

萬福寺に似たイメージがあるのはそのせいかと納得した次第。

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釈迦堂前面

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連子格子

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釈迦堂側面

 普通は密教系から禅宗・浄土系に改宗するのが多いですが、ここは逆。

加えて高野山の影響が強かった紀州で禅宗初期の大伽藍が建てられたのも不思議です。

御住職から伺った話では、

住職;「紀伊由良にある興国寺を高野山が再興させる際に、宋から帰朝した法燈国師に依頼したのですが、彼は禅宗の寺として再興しました。」

和辻;「裏切られたようなものですが、よくそれで揉めませんでしたね。」

住職;「むしろ高野山は禅宗を庇護していたようで、敵対はしていなかったようですね。」

和辻;「その影響で、ここにも禅宗の大伽藍ができた訳ですね。」

住職;「ええ。唯、当初は今の和歌山城付近にあったようで、寺名のある瓦が出土しています。」

和辻;「お城からここは離れていますね。辺鄙ですし…。」

住職;「中世以前の和歌山市内は紀ノ川の蛇行で湿地も多かったようです。それにこの下津地区は港として古くから栄えた場所だったので選ばれたのでしょう。」

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釈迦堂の垂木部分

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「廣福禅寺」の文字を表した瓦

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釈迦堂内部の床
禅宗様式の礎盤上に立つ柱。床は石ではなく瓦製である。

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釈迦堂内部の天井
奥に見えるのが火打梁

 宗派が異なると争いばかりしていると考えたのは浅薄。

改宗しても建物を【改修】しないのは寛容さの表れ。【ぜんぷく】の信頼を置いていたのでしょう。

また紀伊国屋文左衛門が船出したのも下津港。今の交通事情で考えてはいけないと言う事です。

ここに国宝が二ヵ寺残っているのも理由がありました。

和辻;「この辺の字は梅田ですか?梅はなくて蜜柑ばっかりですが。」

住職;「昔は梅もあったようです。蜜柑はこの東にある場所が発祥の地で、橘本(きつもと)神社はお菓子の神様として田道間守(たじまもり)を祀っていますよ。今でも菓子メーカーがお参りに来ます。」

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境内からの眺め

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善福院の歴史

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善福院御朱印

 田道間守は垂仁天皇の御世に常世の国から非時香菓(ときじくのかくのみ)を持ち帰った人物。

これが橘の木で蜜柑と言われます。

 田道間守は但馬出身ともされ但馬にも菓子を祀る神社がありますが、

気候的に考えて但馬は蜜柑栽培にはやや不向き。

ここ下津になったのは【お菓子】くも【紀伊】でもないと【すいにん】できます。

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加茂郷郵便局 ; 国宝・善福院釈迦堂、国宝・長保寺多宝塔、ミカン畑

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塩津港

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昼食 しらす丼 ¥650
郵便局で教えて貰った地元塩津のしらす加工工場 「魚与水産」にて。

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