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龍雲寺(大阪府富田林市) 自然とお釈迦様の一生に出会える寺

2020.08.02(21:12) 671

坂の上に建つウエサカ祭の寺(2020.7.1)

<コース> 近鉄南大阪線は日中15分間隔で運転
梅田 → (地下鉄御堂筋線) → 難波 → (南海高野線) → 大阪狭山市 → 徒歩8分 → 龍雲寺 → 大阪狭山市 → (南海高野線) → 難波 → (地下鉄御堂筋線) → 梅田

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福智山 龍雲寺(黄檗宗 河内西国三十三ヵ所第四番札所)

 この日はミナミで所要があり、午後から時間ができたので河内西国を一ヵ寺巡礼。

所在地は富田林市内ですが、狭山市との境界に近くにあるので、

近鉄電車ではなく南海電車で移動。住所を見ただけでは【難解】ですが、

大阪狭山市の駅で下車して東の小川を越えるともう富田林市内。

駅のすぐ西には狭山市役所があるので生活圏は狭山市内になるのでしょうか。

目指す寺は小川から北へ坂を上った場所にありました。

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緑の向こうに見える龍雲寺
手前の草地も寺域。

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山門から巡礼開始

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山門の「智福山」の扁額

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北条家の菩提寺なので三つ鱗の紋が…

福智山龍雲寺(ふくちさんりょううんじ)は、縁起に拠れば

『昔、河内長野市石見川にあった真言宗の古寺が嚆矢。

それを享保9年(1724年)狭山藩主北条氏の援助を受け、独園和尚が開山となり黄檗宗に改宗。

北条家、狭山藩士および加太新田農民の菩提寺としてこの地に移転した。

 本尊十一面観音菩薩は平安後期の作で、本堂にて常時拝観可能。

享保19年(1734年)作の涅槃図は毎年5月5日のウエサカ祭に公開される。

また境内にはお釈迦様の生涯が実感できるように色々な釈迦像が置かれている。』

とあります。

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山門に続く昔の墓石

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本堂と庫裏へ続く参道

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本堂正面

 坂を上っていくと草地の向こうに寺が見えてきました。

山門前に立つと「福智山」の扁額と三つ鱗の紋が…。

大阪狭山藩主であった北条氏の菩提寺であったので納得。

本堂は移築に際して禅宗様式にしたようで前面の造りにそれと伺えました。

また木魚の原型になった魚の形の鳴らしものである開梆(かいぱん)も架かっていました。

開梆は宗祖隠元禅師が明から伝えたものでその形から魚梆・魚板・魚鼓とも呼ばれます。

魚の形にしたのは、魚は瞬きをしないからだとか。

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本堂前の廊下

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本堂に架かる「龍雲禅寺」の扁額

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由緒

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本堂前の布袋像
禅宗では布袋は弥勒菩薩の化身とされる。

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魚の形の鳴らしものである開梆(かいぱん)

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御詠歌

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本堂から境内を見る

 参拝後は境内を巡りましたが、本堂正面から時計回りにお釈迦様の生涯を表した像が。

製作年代は最近の様ですが一巡すれば釈迦様の生涯に触れることができます。

苦行像は高校時代に美術展で見たガンダーラ仏を模したものでしょうか?

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本堂正面にあるお釈迦様誕生の図
紀元前463年頃

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釈迦苦行像
29~35歳。

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35歳での成道

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説法 35~80歳

 5月5日に開催されるウエサカ祭はタイなど南伝仏教国(上座部仏教)で行われる

お釈迦様を称える祭だそうで、大乗仏教である日本ではやや異質。

唯、仏教の原点は南伝仏教国に色濃く残っているので、原点に触れる貴重な機会と言えます。

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慈母観音像

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玄奘三蔵の像

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仏足石

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本堂脇の庭園

 境内には至る所に植物が植えてあり、今は滅多にお目に掛かれないものも。

すべての生き物には仏性(ぶっしょう)があり、生きる事の大切さを学ぶという

御住職の意向だそうで、眼だけでなく心も癒す効果が期待できます。

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草木の向こうに見える本堂

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紫陽花・梔子・芭蕉・蓮

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蓮池

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白い蓮

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ヒツジグサ
未の刻に花を咲かせる事からの命名。

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庫裏の前にあるオジギソウ

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ネジバナ
捩れている事からの命名。

 境内の奥にある墓地の一角には狭山藩主北条家の墓所が。

かつては関八州に覇を唱え小田原城を居城に5代百年間栄えた北条家も

秀吉の前に降伏。縁者であった徳川家康の執成しもあって大名として残りましたが、

石高は減封というには余りにも大きく285万石から狭山1万石になりました。

家は明治維新まで存続しましたが歴史の表舞台に登場する事もなく、

そのエネルギーは小田原五代で消耗してしまったと言えます。

尤も家を存続させる苦労も並大抵ではなかったでしょうが…。

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北条家歴代の墓

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龍雲寺御朱印

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狭山市マンホール蓋

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狭山市マンホールカード
配布場所は狭山市上下水道部下水道グループ

[参考書]
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