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本山専修寺(三重県津市) 国宝・御影堂と如来堂

2020.08.24(21:04) 682

開祖の【しんねん】は【いしんでんしん】!(2020.7.25)

<コース> 夏の青春18きっぷ使用
【往路】JR天王寺(5:35) → (関西本線) → JR加茂(6:54→6:55)→ JR亀山(8:16→8:23) → (紀勢本線) → 伊勢市(9:56→10:20) → JR鳥羽(10:38) → 徒歩15分 → 金胎寺 → JR鳥羽(12:02) → JR伊勢市(12:15) → レンタサイクル10分 → 中山寺 → レンタサイクル15分 → 松尾観音寺 → JR伊勢市(15:56) → JR一身田(16:16) → 徒歩5分 → 専修寺 → JR一身田(17:25) → JR亀山(17:41→17:43) → JR柘植(18:08→18:11) → (草津線) → JR草津(18:58→19:06) → JR大阪(19:57)

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高田山 専修寺(浄土真宗高田派本山)

 寺内町散策の後は、いよいよその中心へ。本丸ならぬ本山です。

高田山専修寺(たかださんせんしゅうじ)は、

『浄土真宗十派の一つである高田派の総本山。

元々の専修寺は、嘉禄元年(1225年)開祖・親鸞聖人が関東各地を教化中に

下野国芳賀郡(真岡市)に一宇を建立し、専修念仏の根本道場としたのが始まり。

起源については、明星天子の夢のお告げと伝わるが、実際は真岡城主・大内氏の依頼に拠るとされる。

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西の桜門跡から寺内を望む

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西口から寺内町通りを見る

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寺内町通り西にある重文・唐門
如来堂正面に建つ四脚門で、檜皮葺屋根の正面・背面共に大きな唐破風があるのが由来。天保15年(1844年)の建築で、完成までに35年を要した。

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唐門説明

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境内から見た唐門の組物と彫刻

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唐門扉の牡丹の彫刻

 その管理を任されたのが親鸞直弟子二十四輩の第二座にあった真仏(しんぶつ)上人であったため、

真岡を中心とした教団は関東でも有力となり「本寺」として全国から崇拝を受けた。

 この教団は高田専修寺の第十世の真慧(しんね)上人の時代に一段と飛躍する。

寛正5年(1464年)、真慧がこの伊勢の一身田に無量寿院を建立。

戦火で焼失した高田専修寺に代わり、東海北陸地方の布教の中心とした事が、

高田派の、強いてはこの町の発展に繋がった。記録に残る最古の資料は天正20年(1592年)のものである。

唯、下野の専修寺も元寺と言う事で本寺、一身田は本山と呼ぶのが定着した。

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唐門下から見る国宝・如来堂

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御影堂の正面に立つ重文・山門
宝永元年(1704年)築の入母屋造・本瓦葺の二階建ての門で専修寺の総門。寺院の門としては最高の格式で楼上には釈迦三尊像を安置する。

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山門の説明

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山門脇には明治天皇行在所の碑が

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境内から見た山門
「指肘木」などの大仏様の建築様式を取り入れている。

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山門下から見た国宝・御影堂

 その頃の寺域は現在の半分位であったが、天正8年(1580年)、正保2年(1645年)と

二度に亘り伽藍が焼失。

万治元年(1658年)津藩二代藩主・藤堂高次の四女・いと姫が専修寺の門主に輿入れする際に

土地の寄進を受けたことで約9万㎡の広大な寺域を得、

町へ入る赤門・黒門・桜門を整備するなど寺内町の形成を行った。

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広大な境内

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寛延元年(1748年)建築の国宝・如来堂
隣接する御影堂の半分の広さだが教義上はここが本堂で、「証拠の如来」と呼ばれる重文・木造阿弥陀如来立像が本尊。

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側面から見た如来堂の外部組物
御影堂とは右側の通天橋で繋がっている。完成2年(1800年)建築の通天橋も重文。

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寛文6年(1666年)建築の国宝・御影堂
親鸞聖人の木像、歴代上人の画像を安置する。入母屋造・本瓦葺の純和様で内部は780畳の広さを誇る。

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御影堂前面の組物

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御影堂前面にある欄間の麒麟の彫刻

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横から見た御影堂と屋根の装飾

 寛文6年(1666年)には全国屈指の大きさを誇る御影堂が、同12年(1672年)に御廟、

宝永元年(1704年)に山門、寛延元年(1748年)に如来堂と、幕末に至るまで

境内には種々の建物が造営され伽藍の形式を整えた。

 明治以降は廃仏毀釈の余波で多くの寺域を失うが、環濠がほぼ完全な形で残り、

多くの寺院や古民家の佇まいを今に伝える。

平成29年には御影堂と如来堂が国宝に指定された。』 とあります。

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山門を入ってすぐ右手にある重文・茶所
入母屋造で西側正面に唐破風造りの向拝を設けている。今でも茶の接待が受けられる。

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重文・鐘楼
梵鐘は慶安5年鋳造の銘が残る。今は御堂の勤行前に撞かれるのが習わし。

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鐘楼と梵鐘の説明

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御影堂から続く進納所

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御影堂の北東に位置する重文・大玄関
天明3年(1783年)の火災後再建。明治11年に現在地に移転した。

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重文・御対面所
大玄関の東に続く。大正元年までは法主が檀信徒に対面する場所であった。

 真宗は派が多いのは知っていましたが、派に拠り特色があるのには吃驚。

【十派一絡げ】にするわけにはいかないようです。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、

廃れた元寺を本寺として敬意を表している?事には感心。

このような懐の深さも民衆には受け入れられた理由にはなったかと思います。

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食堂(じきどう)
僧侶が食事するのか、檀家が食事をするのか?

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婦人会館

 それよりも境内の広大さと伽藍は壮大の一言。かつて訪問した京都の西本願寺に似た印象でした。

それでも観光客の違いは雲泥の差。駅で降りた人も地元の人が数人、観光バスも入山している様子はなし。

観光よりも檀家の方々の場所と言った所。

25年前には気付かなかった店もちらほらと…。早速食べる処ですが、時刻が15時過ぎだったため殆どの店が閉店。

 県庁所在地の津駅から一駅ですが、鉄道が1時間おきというのがネックなのでしょう。

これだけ国宝と重文が多いと今回で【じゅうぶん】とはいかず。次はもう少し早く来ようと

一日【専修】の思いに。お寺も【三重へどう?】と言ってくれる気がしますが…。

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寺の東にある重文・太鼓門
左右に長屋が付く四重の楼門で、かつては町の人々に時刻を知らせる太鼓が打たれた。

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太鼓門説明

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外から見た太鼓門

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境内の蓮池

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専修寺説明書

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専修寺御朱印(平成7年拝受)
現在では真宗寺院は御朱印をしない所が多いが、専修寺は例外的に多種類を行っている様子。

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