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慈恩寺(岐阜県郡上市) 静寂と清水の中で涼を感じる

2020.09.29(21:41) 709

名勝荎草園(2020.9.5)

<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岐阜(8:53→9:09) → JR美濃太田(9:44→9:56) → (長良川鉄道) → 郡上大和(11:38)

郡上大和駅 → 徒歩10分 → 道の駅 古今伝授の里 → 郡上大和(13:10) → 郡上八幡(13:27) → 駅観光案内所レンタサイクル5分 → 宗祇水 → 大乗寺 → 慈恩寺 → 郡上八幡駅

【復路】郡上八幡(16:01) → (長良川鉄道) → 美濃太田(17:22→17:36) → JR岐阜(18:07→18:21) → JR米原(19:09→19:18) → JR大阪(20:42)

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鍾山慈恩護国禅寺(臨済宗妙心寺派)

大乗寺参拝の後は吉田川に架かる宮ケ瀬橋を渡り、立町・川原町と東進し

寺標の前を右折すると目指す寺院。

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川原町付近の街並み

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川原町沿いに建てられた寺標を奥に進む

 鍾山慈恩護国禅寺(しょうざんじおんごこくぜんじ)は、

『慶長11年(1606年)、八幡城主・遠藤但馬守慶隆が開基となり、京都花園妙心寺の円明国師を勤請。

その高弟・半山紹碩禅師を迎え釈迦如来を本尊として創建された。

境内には遠藤慶隆公・智勝院殿・高松院殿及び金森台近公の各霊廟が建立されている。

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正面の総門は屋根改装中なので駐車場横から入山

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慈恩寺全景

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中門をくぐり境内へ

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中門扉の彫刻

 元文3年(1738年)、「護国」の称号と青蓮院宮一品親王の勅額を下賜され、

また棠林和尚の代には修行道場として禅堂が開かれた。

 明治26年(1893年)には裏山が豪雨に拠り土砂崩れを起こし、山門のみを残し

伽藍全てが埋没した。この災害は後に慈恩寺崩れと呼ばれる事になる。

明治天皇より勅使・片岡侍従が遣わされ御見舞いを賜り三年後に再建。現在に至る。

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中門から見た寺院
正面が書院玄関で、左が本堂、右が寺務所(拝観受付)。

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書院玄関
中に見える曲線状のものはオブジェではなく、欅の古木を使った結界だそう。

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鐘楼と本堂

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鐘楼と地蔵菩薩

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本堂正面

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本堂前の勅旨岩
明治26年の水害に際し、明治天皇より御見舞いに遣わされた片岡侍従が腰掛けた岩。

 書院の奥にある「荎草園(てっそうえん)」は創建半山禅師の作庭。

雄大な岩山を背景とし、静寂の中に絶えず響き渡る滝の音が、

幽玄で豪爽な雰囲気を醸し出す室町様式の庭園である。』 とあります。

尚、荎草(てっそう)とはサネカズラの中国名。木蓮科の蔓草で、

男性が調髪に用いたことから美男カズラとも呼ばれるものだそうです。

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書院奥から庭園を拝観

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書院の大広間
ここに座してじっくり庭を眺める。

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書院の床の間
左に紅葉の頃の庭園の写真が貼ってある。

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書院の縁側越しに池を見る

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西側から見た庭園

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庭園から書院を見る

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庭園には紅葉が多い

 御朱印帳の記録を見ると平成5年に訪問済。しかしお城は覚えているものの、

寺院や庭は全く記憶に残っていませんでした。

 受付でその旨を話すと、住職夫人と思しき方が仰るには

夫人;「庭はそのままですが、建物内は改修したので、違った印象だと思います。」 との事。

 表札に「東」とあったので、

和辻;「東常縁公と縁続きなのですか?」

夫人;「世襲ではないので、血縁は御座いません。明治になって、常縁公に所縁の地なので東(とう)と名乗りなさい、とお上から言われたようです。」

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池に架かる橋

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庭園を抜け本堂へ

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庭園の隅にある水琴窟

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廊下から見た庭園と書院

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欅の古木を用いた結界

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本堂手前の中庭

 拝観してみるとやはり記憶に残っておらず。今ほど庭に興味がなかったのか、

時間がなく駆け足だったのかも不明。いずれにせよ拝観して損はありませんでした。

ついでに御朱印も27年前とは随分違ったカラフルなもの。庭園に倣ったものかどうかは不明ですが、

これも拝受して正解。何事も、訊いてみる、試してみるのが【てっそう】くです。

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総門脇にある烏枢沙摩(うすしま)明王
下半身を護って下さる仏様だそう。

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明王説明

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慈恩寺説明書

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26年前に拝受した慈恩寺御朱印
当時はこの一種類しかなかった筈。

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今回拝受した御朱印

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和辻鉄丈の個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)


岐阜県 トラックバック(-) | コメント(2) | [EDIT]
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コメント
岐阜、郡上八幡は昔からのあこがれです。
名水日本一とも呼ばれる、水のゆたかなところですよね。
河童伝説もあり、白線流しの舞台だったと記憶しています。

枯山水に見えましたが、こちらは本物のお池なんですね。おなんとも幻想的な色をしていますね。殿様が名前をつけたくなるような、ものいう御池です。
ずっとうつろいゆくときの水面を眺めていたいような・・・
鐘楼も立派で、立派な寺の由緒を思わせますが、和辻さんが覚えていないというのは意外です。そんなに改造してしまったのでしょうか。

烏枢沙摩明王の独立したお堂を初めて見ました。
烏枢沙摩明王はまた、真言宗か禅宗の独自の仏様と聞かされていたので・・・案外、オリジナルの宗派もいずれかの時代に変わってしまったのかもしれませんね。

小さいころから、おばあちゃまが、女の子だから冷えたりしもの病気にかからないように、と「おんくろだのうんじゃくそわか」と書かれた、摩訶不思議な片足をあげた不思議な仏様のお札をトイレの上のほうに貼っていたのを覚えています。
そして、トイレを綺麗にしていると、烏枢沙摩明王さまが喜んで、いいことがいっぱい来るんですよ、と教えてくれたのを思い出しました。

思わず、この赤いお堂に手を合わせてしまいました。ありがとうございます。<(_ _)>
【2020/09/30 01:14】 | 美雨 #- | [edit]
美雨様

いつもコメントありがとうございます。

郡上八幡、いい所ですよね。
各地に清流は多々ありますが、人々の生活に密着している場所としては双璧ではないでしょうか?

清流が嫌な事を流し去ってくれるような気もして…。

烏枢沙摩明王さんは、下に関わる神様。かつて流行った「トイレの神様」みたいなものでしょうか?
この年齢になると、その大切さが実感できるようになりました。

境内から少し離れた場所にありましたが、かつて家庭ではトイレは家屋から離れた場所にあったのを思い出してしまいました。
今は、通じる人も少なくなりましたが…。
【2020/09/30 23:47】 | 和辻鉄丈 #- | [edit]
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