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大黒寺(京都市伏見区)

2020.10.26(21:36) 733

凄烈な志士の墓所に湧く清冽な清水(2020.9.27)

<コース> 京阪電車は10分間隔で運転
淀屋橋 → (京阪特急) → 中書島 → 徒歩5分 → 長建寺 → 伏見酒倉(月桂冠大蔵記念館、キザクラカッパカントリー、寺田屋) → 油懸地蔵 → 松本酒造 → 大黒寺

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円通山 大黒寺(真言宗東寺派)

 京都市内で大黒様と言えば先般訪れた松ヶ崎大黒ですが、どうも伏見にもある様子。

松本酒造を横に見て次の丹波橋まで向かうと途中に大黒様の案内があり、

スタートの弁天様に続いての七福神巡り。円通山大黒寺(えんつうざんだいこくじ)は、

『元は円通山長福寺と言い真如法親王が開基。親王は平城天皇第三皇子であったが、

父が薬子の変で敗れたため皇位継承から外された人。後に出家し空海の十大弟子の一人となり、

仏教のルーツを求めて入唐。マレー半島で亡くなったと伝わる。

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南北の通りに面して門がある

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山門の屋根瓦
鬼瓦の代わりに大黒天、瓦の端には島津家家紋「丸に十の字」

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由緒記

 元和元年(1615年)、薩摩藩主島津義弘は島津家の守り本尊である大黒天が藩邸近くの

長福寺に居られる事を伝え聞き、伏見奉行の山口駿河守に懇願して薩摩藩の祈祷所とした。

以来、本尊は大黒天、寺名は大黒寺となったが、当時から薩摩寺の通り名で呼ばれた。

 薩摩藩と関りが深く幕末期には志士たちが密談に使用。西郷隆盛・大久保利通の会談した部屋も今に残る。

墓所には寺田屋事件の九烈士の墓、宝暦の木曽三川の治水工事を幕府から命ぜられ

300万両の費用を出した責任を取って自刃した家老・平田靭負(ゆきえ)の墓所もある。

 平成15年には境内に井戸を掘った所、伏見の清冽な水が湧出し「金運清水」と命名。

多くの訪れる人々の喉を潤している。』 とあります。

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大黒様を祀る本堂
但し、外からの参拝。

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本堂前の「なで大黒」と「幸せの壺」

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山門左手の「金運清水」

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金運清水の説明

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清水は持ち帰り、飲用OK

 伏見稲荷大社が商売繁盛の神様なので、大黒様があっても不思議ではありません。

大黒様と言えば大国主命との関係で日本古来の神様と思われがちですが、

元来はインドの摩訶迦羅天(まかからてん)でそこに大国主命が結合した五穀豊穣・財福の神様。

まるでバロムワンですが、そのような【摩訶不思議】な事が起こるのが本地垂迹の凄いところです。

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墓地の一角に建つ伏見池田屋殉難九烈士の墓

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烈士の墓の向かいに建つ平田靭負翁の墓

 薩摩島津家が大黒を信奉していたとは驚き。そういえば鹿児島市内にも

大黒という地名があったような気も…。頼朝以来の守護を誇る武門ですが、

戦には金が掛かるためか、江戸時代を通じて借金に苦しんだせいかは分かりません。

いずれにしても幕末に琉球経由で行った海外密貿易と奄美大島の砂糖生産のお陰で

万年赤字から脱却。【大黒】字になります。これが元手となって薩摩が明治維新の立役者になった訳ですから、

大黒様の効果は十分あったと言えるでしょう。

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大黒寺説明書

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大黒寺御朱印

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寺の向かいにはその名も「金札宮」が鎮座

[参考書]

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