<コース>
【往路】新大阪(6:06) → (ひかり501号) → JR新山口(8:38→9:13) → JR湯田温泉(9:31) → 徒歩5分 → 井上公園 → JR湯田温泉(9:58) → JR山口(10:02)
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今八幡宮(郷社)
瑠璃光寺参拝の後は、一の坂川を渡り国道9号を過ぎ神社が建ち並ぶ一角へ。
派手な鳥居のある野田・豊栄神社の脇を抜け、小高い丘の参道を上ると古風な社が目に入ります。
山口の総鎮守とされる古社ですが、それにしては小さいと思っていると来た道は裏道で、
南側にある正門に行くと立派な鳥居がありました。

正門に建つ一の鳥居
今八幡宮(いまはちまんぐう)の社伝に拠れば、
『初め宇治皇子一座を祀り今八幡宮と称した。創建年代は不明であるが鎌倉時代の弘安年間の
大内氏19代の弘成の娘に「今八幡殿」の名が見え、それ以前からあった事が分かる。
一説では大内氏の山口入府以前からの古社ともされる。
文明3年(1471年)、29代の大内政弘が朝倉八幡宮を遷し、社号はそのままに主祭神を応神天皇とし、
他に三座が合祀された。

石段途中にある旧一の鳥居(現二の鳥居)
寛永年間に毛利秀就が寄進。

石段の先に建つ楼門
向拝付きで、左右に翼廊を配し、床板を敷く「楼拝殿造り」と呼ばれる特異な形式で、必要に応じて拝殿として機能する。

楼門近影
上層部は三つに分け、中央を扉、左右を連子窓とし、輪宝や木製の柱基礎は禅宗様式である。
当宮は大内氏の居館の北東の鬼門除けに当たる守護として、また産土神であることから暦代当主の崇敬篤く、
分国法「大内氏壁書」の内、文明10年(1478年)政弘より布達された「今八幡宮条々」において
特別に保護が与えられており、重要視されていたことが伺える。
31代の大内義隆は網代車と輿を乗り継ぎ、自ら社参した記録が残る。』 とあります。

楼門に続く拝殿
右が楼門で、左が本殿に続く。

本殿前面
上部の蟇股は、当代一流の工匠の作。
大内氏以前にまで遡るとされる古社らしく、本殿は拝殿を介して楼門までを一直線に連結させる構造。
これは全国的にも山口地方だけに見られる独特な様式で、限られた土地を有効利用したものだとか。
本殿は三間社流造り、楼門は楼拝殿造りと呼ばれる特異な形式で上層部は禅宗様式になっています。
といって質素な造りではなく、本殿及び拝殿上部の蟇股は当代一流の工匠による芸術作品でもあります。

御本殿
向拝を付した三間流造りである。

本殿・拝殿・楼門と一直線上に並ぶ
由緒と実物を兼ね備えた神社ですが、境内を見ても社務所らしきものはなし。
ここも無住の神社になってしまったのかと、思い次の八坂神社に向かいますが、
そこで社務所は一の鳥居の南側にある事が判明し、再び戻って御朱印拝受。
画竜点睛を欠くことにならず何よりでした。

一の鳥居から少し南にある社務所
目と鼻の先にあるが、住所は山口市八幡馬場と変わる。

今八幡宮説明書

今八幡宮御朱印
[参考書]
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