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海潮寺(山口県萩市北古萩) 明倫館の聖廟を本堂

2020.12.27(07:33) 780

総源の輝き(2020.11.21)

<コース>
【往路】新大阪(6:06) → (ひかり501号) → JR新山口(8:38→9:13) → JR湯田温泉(9:31) → 徒歩5分 → 井上公園 → JR湯田温泉(9:58) → JR山口(10:02)

山口駅前レンタサイクル → 市内観光 → 山口駅(13:33) →JRバス → 萩・明倫センター(14:5) → 明倫館 → 徒歩5分 → 長寿寺・海潮寺

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総源山 海潮寺(曹洞宗)
(左)本堂、(右)庫裏

 古風な長寿寺のある通りからほんの少し北へ行くと対照的な大きな山門が目に入ります。

総源山海潮寺(そうげんざんかいちょうじ)は、

『応永15年(1408年)、不見明見を開山として石見の温泉津に創建された温津山海蔵寺が嚆矢。

第12世大佐の慶長12年(1607年)、毛利輝元の防長移封に際し萩に移転。現在の山号寺号に改称。

総源は流派を総括する本源から、海潮は観音経の海潮音の義に由来している。

江戸時代には石見・長門に11の末寺を擁した。

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壮麗な山門
明治の大火にも焼け残った。

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山門越しに本堂を見る

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山門に掲げられた扁額
「栴檀は双葉より芳し」に由来か?尚、栴檀とは白檀の別名である。

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塀越しに見た山門側面

 明治7年(1874年)の火災で山門と蔵を残して全焼。萩明倫館の聖廟を買収して、翌年当寺に移して本堂とした。

藩政時代、全国の藩校では構内に広大な聖廟を造営し、孔子を学神として祀るのを理想とした。

 明倫館もその例に漏れず、嘉永2年(1849年)に江向に再建された時、敷地の中心部に南面して造営され、

宣聖殿と称している。建物は木造平屋建、入母屋造本瓦葺で、桁行17.28m、梁間9.6。

中央部正面に、入母屋造本瓦葺の入口のある前室が張り出している。

聖壇には孔子の木造を祀っていた。』 とあります。

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山門から見た本堂
明倫館聖廟の遺構である。

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本堂正面
中央に張出しているのが入母屋造本瓦葺の前室。

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本堂の扁額「総源山」

 萩自体が毛利の城下町になってから発展したので、寺院が移って来たこと自体は驚きませんが、

明倫館の聖廟まで持ってきたとは凄いですね。

 明治維新は薩長が中心だったので新築も可能だったでしょうが、

敢えて【孔子】混同しなかった事に維新の人達の矜持を感じます。

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本堂左手にあるのは坐禅堂

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十三重石塔

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