<コース>
【往路】新大阪(6:06) → (ひかり501号) → JR新山口(8:38→9:13) → JR湯田温泉(9:31) → 徒歩5分 → 井上公園 → JR湯田温泉(9:58) → JR山口(10:02)
山口駅前レンタサイクル → 市内観光 → 山口駅(13:33) →JRバス → 萩・明倫センター(14:5) → 明倫館 → 徒歩5分 → 長寿寺・海潮寺 → 徒歩5分 → 野山獄跡 → 常念寺 → 徒歩10分 → JR東萩駅(16:58) → JR益田(18:10)

長栄山 不断光院 常念寺(浄土宗)
獄跡を少し南下すると道に面して大きな山門が見えます。これがこの日最後の巡礼先の常念寺。
長栄山不断光院常念寺(ちょうえいざんふだんこういんじょうねんじ)は、
『天文元年(1532年)、吉見氏の家臣であった安部家貞が開基となり、単蓮社信誉上人を開山として創建。
安部氏の法名であった常念を採って寺号とした。
当初は現在地より北に位置し、萩築城の際には藩主輝元が常念寺を宿舎とする。その縁で表門が寄進された。
これは京都聚楽第の裏門であった四脚門で、輝元が秀吉より拝領したもの。
桃山時代を代表する建築として重要文化財となっている。

西方に開かれている常念寺

重文・表門
江戸時代には総本山知恩院の命に拠り防長二ヵ国の触頭(ふれがしら)となった。
寛文9年(1669年)、類焼を受け堂宇を焼失したが、毛利家の援助を受け現在の場所に移転。
本堂は寛文11年に再建され今に伝わっている。
本堂の中には十六羅漢が祀られており、その11体には元治元年(1864年)京都禁門の変で戦死した
萩市勇隊の隊士16名の内、14名の法名が記されている。平均年齢23歳、法名と共に
「元治元年甲子七月十九日於京師戦死」の札が全てに立てられている。』 とあります。

境内から見た表門
両袖に潜り門が付けられているのが分かる。

正面から見た表門
表門は切妻本瓦葺で控え柱を持った桁行3.66m、梁間3.12mの四脚門で、両袖に潜り門が付いていました。
天下人から萩藩主、そして当寺と流転していますが、重文の決め手となったのは、
門に彫刻された狛犬であったと言うのも不思議な話です。
一方の羅漢は由来も定かでなく、何故14名の名が記されているのかも分からないそうでした。
明治半ばまでは、七月十九日に焼香する人がいたそうですが、昭和に入ると全く途絶えたとの事。
長州藩からは維新の元勲が輩出しますが、その過程で流された若い血も忘れてはいけないでしょう。

表門にある狛犬 (阿像)
一説では左甚五郎の作とされる。

同じく狛犬(吽像)
境内を見ていると、小中学生と頭巾を被った母親と祖母らしき人が戻って来られました。
和辻;「お寺の方ですか?」
母親:「そうです。」
和辻;「御朱印を御願いできますか?」
母親;「暫くお待ちください。」
暫くすると戻って来られましたが、頭巾を外した姿は法体姿。
和辻;「ここは尼寺ですか?」
祖母;「いいえ、先代が数年前に亡くなり、孫は未だ小さいので新たに僧侶の資格を取りました。今は小僧都です。」
と庭で遊んでいる小学生の男子の方に目を遣られました。
御主人が亡くなっただけでも大変な状況ですのに、その上僧侶の資格をとるとは並々ならぬ事。
維新を支えた人の【情念】は今にも受け継がれているのを実感しました。

寛文11年再建の本堂

本堂の「長栄山」の扁額と向拝の彫刻

常念寺御朱印
[参考書]
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