<コース>
【往路】JR大阪(6:30) → (サンダーバード1号) → 金沢(9:13→9:27) → (あいのかぜ冨山鉄道) → 高岡(10:08)
高岡 → 徒歩15分 → 大仏寺 → 高岡(11:12) → (氷見線) → JR伏木(11:24) → 徒歩5分 → 勝興寺 → JR伏木(13:01) → JR高岡(13:15) → 徒歩10分 → 瑞龍寺
【復路】高岡 → (バス) → 新髙岡(16:24) → (北陸新幹線) → JR糸魚川(17:01)

高岡山 瑞龍寺(曹洞宗)
北回廊の大庫裏。
総門から山門、仏殿、法堂と巡礼すると瑞龍寺参拝も一段落。通常なら「さあ、帰ろう!」となる所ですが、伽藍を結ぶ
回廊があるので、そこを回りながら出口へ。
『山門の右手にあるのが重要文化財の大庫裏。ここは寺の調理配膳や寺務運営を行う堂である。向拝は明治初年の
廃仏毀釈に際し、砺波の千光寺へ売却されたが、後の復元修理に際し、千光寺側の好意で返却され復元された。
天井は漆喰を弓型状に塗り、結露に配慮すると共に防火設備としての役目も果たす。隅柱及び荷重の架かる柱を
特に太くした点も見逃せない。正面には韋駄天尊像が祀られている。

正面から見た重要文化財・大庫裏

大庫裏に掲げられた扁額

大庫裏説明

大庫裏内部の様子

回廊を回り反対側の禅堂へ
一方、庫裏の反対側に建つのが同じく重要文化財の禅堂。禅堂とは坐禅修行をする建物であるが、坐禅だけでなく、
食事・睡眠も摂れる生活空間である。瑞龍寺の禅堂は古規僧堂として高い評価を受け、国内で重文指定の禅堂は
京都市東福寺、宇治市萬福寺とここの三ヵ所のみである。
延享3年に焼失するが直ちに再建。幕末に三分の一に縮小されたが、平成の修理で再び創建当初の姿に復元された。
回廊の一番東側には、南端に手洗いである東司(とうす)、北端に浴室が設けられたが、現在は残っていない。』 とあります。

南回廊にある重要文化財・禅堂(僧堂)
これは山門からの眺め。

正面から見た禅堂

「選佛場」の扁額

禅堂の説明

時を知らせる魚板
これが木魚の原型とか!
寺は僧侶の修行の場ですが同時に生活の場。通常は本殿や仏殿は参拝しても、手洗いや浴室は見ないものですが、
修行・食事・入浴・排泄・睡眠どれひとつ欠けても生活は成り立ちません。そんなことは当たり【前田の利長公】ですが、
毎日それを繰り返すのが人の一生。回廊を巡る事で参拝者は自ずと人の一生を辿る事ができる訳で、そこに創建者の
卓見を感じます。
曹洞宗の開祖・道元禅師は宋に渡り修行中、師が自ら市場へ食材を買いに行くのを見て不思議に思い尋ねました。
師曰く、「食事の準備も僧侶にとっては大切な修行の一つである。」と。
この言葉で食事の重要さを知った道元は帰国後、その教えを取入れることになります。
食事に携わる典座(てんざ)と呼ばれる職務に拠って我が国の精進料理が大きく飛躍するのはそれ以降の事。食事に限らず、
日常生活に関係の深い事も取り入れた事が、密教と比較して禅が広く庶民に広がる契機になったと思います。
まさに【衣食道元】と言えるでしょうね。

北回廊の半ばにある鐘楼

回廊の南端には東司跡が
尚、回廊も重文である。

韋駄天尊御朱印
大庫裏正面の厨子に祀られる。

烏瑟沙摩(うすさま)明王御朱印
本来は東司に祀られる仏様である。

南西回廊の奥(外側)にある茶室

南西回廊奥には前田利長公初め石廟が五基並ぶ
[参考書]
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