<コース>
【往路】JR糸魚川(6:00) → JR南小谷(7:20→7:27) → JR豊科(9:11)
JR豊科 → 徒歩7分 → 法蔵寺 → JR豊科(10:15) → JR松本(10:35→10:40) → JR岡谷(11:13→12:26) → JR塩尻(12:36→13:08) → JR須原(14:22) → 徒歩5分 → 須原宿 → 徒歩5分 → 定勝寺 → 徒歩15分 → 岩井観音 → 徒歩25分 → JR大桑
【復路】JR大桑(16:17) → 中津川(16:51→16:55) → JR名古屋(18:17→18:30) → JR米原(19:39→19:54) → JR大阪(21:17)

岩出観音堂(臨済宗妙心寺派 定勝寺別地境内)
定勝寺参拝後は中山道を通り次の宿場の野尻宿というよりもJR大桑駅に向かいます。暫く進むと平地も狭くなり、
木曽川・旧中山道・JR中央本線・国道19号が平行に走ります。
水運・徒歩・鉄道と移動手段は変わっても交通の要衝であることには変わりはありません。

旧中山道からの眺め
右に向かってJR中央本線、国道19号、木曽川。

中山道から見た木曽川
中流なので、大きく丸い石が多い。
寺から西へ1㎞程進むと橋場地区、木曽三大橋の一つ伊奈川橋の番をするために置かれたのが橋場集落の始まりと
言われます。この山腹の岸壁に清水寺を小さくしたような懸崖(けんがい)造りの御堂が岩出観音堂。
『岩出観音は農耕馬として生活に欠かせなかった木曽馬を守護する馬頭観音を祀る。
今から300程前、須原に馬の沓を作り商う一老父がいた。或る日、威厳に満ちた馬上の侍が馬の沓を求めたが、生憎
片方分しかなかった。老父はその旨を伝え、不足分を急いで作り侍を追いかけて渡した。
その場所は今の橋場付近であったと伝わる。
侍は喜び代金を渡そうとしたが、その尊容に打たれた老父は代金を辞退。そこで侍は傍らにあった木に「馬頭観世音」
と書き、「これを祀れば必ずや御利益があるであろう。」と言って立ち去ったと言う。

観音堂遠望
橋場地区に入ると中山道は左に曲がるが、そこにある中部北陸遊歩道案内板付近から。

道路から懸崖造りを見上げる
老父はそれを家に持ち帰り神棚に祀った所、光明を放ったので、恐れおののき橋場の岩出山の岩間に祀った所、
一層の光明を放つようになった。
これが忽ち近郷の評判を呼び、来拝する者が引きも切らなかったので、この木片に観世音菩薩と刻み、京都まで
出向いて妙心寺の名僧・愚堂国師の開眼を受け、この地に堂宇を建て奉安したものである。
別名、伊奈川観音、橋場観音と呼ぶ他、コツパ観音と言うのはこの由緒に由来する。

懸崖造りの上に建つ御堂

御堂へと続く細い石段
木曽日義の岩華観音、開田高原の丸山観音と共に木曽三大観音の一つとして信仰を集めた。堂内には
木曽代官山村家の絵師・池井祐川の絵馬を始め、多くの美しい絵馬が奉納されており、中でも「木曽式伐木運材法」や
「刈手(干し草刈り)」の情景を描いたものは当時の庶民生活を今に伝える貴重な資料となっている。
懸崖宝形造りの堂は江戸時代に一度焼失し、文化10年(1813年)に再建された。舞台の上の堂宇は端麗な美しさであり、
『木曽街道六十九次』の英泉画「伊奈川橋遠景」にも描かれた名勝である。』 とあります。

石段を抜け御堂に向かう

観音堂近影
御堂の周囲は狭いので、撮影場所に一苦労。
成程、街道からは一望でき名勝であると同時に旅人が安全を祈願したのも当然と言えそうです。唯、場所が狭いので
お堂まで上らず、麓から拝んで去った人も多かったでしょう。私はお堂まで上りましたが、足元も狭いのであまりお勧めできません。

岩出観音説明板

観音堂の舞台からの眺め
中央付近に白く見えるのが浮世絵に登場する伊奈川橋で、目指すJR大桑駅は正面の山の更に向こう側。
この後は只管歩き、町役場で所用を済ませた後、大桑駅へ到着。電車の時間には30分以上ありましたが、
駅について暫くすると雷鳴と共に車軸を流すような驟雨が…。あと10分遅かったら濡れ鼠になる所だったので、
まさに【おーこわ!】。これも岩出観音様の御利益さんかと思った次第です。

伊奈川橋から

大桑村マンホールカード 配布場所は大桑村役場

今は無人化されたJR大桑駅のかつての駅スタンプ
平成5年押印。
[参考書]
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