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龍城神社 (愛知県岡崎市康生町)

2021.09.26(20:31) 964

城内に祀られた話(2021.7.25)

<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岡崎(9:48)

JR岡崎 → (愛知環状鉄道) → 中岡崎 → 徒歩10分 → 岡崎城 → 龍城神社

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龍城神社(旧県社)

 岡崎城内を歩くと天守の直ぐ横に神社が鎮座。龍城神社(たつきじんじゃ)は、

『康正元年(1455年)、三河守護代西郷弾正左エ門稠頼がこの地に築城した日、柳の五ッ衣に紅袴姿の高貴な乙女が

天守に現れ、

「我は久しくこの地に住む龍神なり。汝我を鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめむ。」

と城主に告げた。

折しも城中の井戸より水が噴き出し、高く天に上り飛瀑の如く龍神に注ぎ、黒雲舞い降りて天守を包むと龍神の姿は

忽ち消え失せた。

この不思議に驚いた城主は天守楼上に龍神を祀り、城名を「龍ヶ城」、井戸の名を「龍の井」と称したという。

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正面から見た拝殿

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拝殿の扁額
上には三つ葉葵の紋が。

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拝殿の向こうに聳える天守閣

 その後、文明年間に松平氏の居城となった。天文11年12月に城主松平広忠の長男として城内坂谷御殿で産声を

上げたのが後の徳川家康である。彼が誕生した時には天守の上に雲を呼び、金鱗の龍が出現したと伝わっている。

かくして家康薨去の後、城内に東照宮を奉祀し当社の創祀とした。

 後に東照宮を現社地に遷座し本田忠勝を合祀、明治9年に龍城神社と定めた。その後、一時社名を東照宮に復した

時期があったが、明治45年再び龍城神社となり、大正3年には県社に列し当地域の中心神社として崇敬を集めている。

昭和37年には現在の社殿が再建された。』 とあります。

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神馬の銅像

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鳥居越しの眺望

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龍城神社由緒

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龍城神社御朱印

 家康が生まれた場所なので、お祀りしていると単純に思っていましたが、松平氏以前の守護の時代にまで遡る

由緒があると知って驚き。家康が誕生した際には奇瑞があったそうですが、よく【気付い】たものと感心します。

没後は御祭神になり本多忠勝も合祀されたとありますが、神君家康は当然としても本多忠勝は徳川四天王よりも

子孫が岡崎城主だった事で忖度された気もします。

いずれにせよ民衆というよりも多分に政治的な意図があったことは伺える話。

勿論、徳川の世が【まつだい】らまで続く事を願ったのは言うまでもないでしょうが…。

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公園内にある本多平八郎忠勝公像

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城の北側に架かる龍城橋

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橋上からの天守閣遠望

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