<コース> 夏の青春18きっぷ
【往路】JR大阪(5:55) → JR米原(7:42→8:04) → JR大垣(8:36→8:40) → JR岡崎(9:48)
JR岡崎 → (愛知環状鉄道) → 中岡崎 → 徒歩10分 → 岡崎城 → 龍城神社 → カクキュウー八丁味噌 → 中岡崎 → (愛知環状鉄道) → JR岡崎 → JR金山 → JR大曾根 → 徒歩15分 → 建中寺 → 徒歩10分 → JR千種
【復路】JR千種(16:11) → JR名古屋(16:21→16:30) → JR米原(17:39→17:47) → JR大阪(19:13)

徳興山 建中寺(浄土宗)
三河岡崎で、お城とカードと八丁味噌を堪能した後は、再び東海道本線で西へ。
このまま終わりにするには時間が早く、以前に瀬戸市の定光寺を訪問した際に住職夫人が
「名古屋市内にも菩提寺がありますよ。」 と言われたのを思い出し尾張名古屋へ巡礼。
JRだと大曾根駅から南西へ少し歩きますが、周囲は地下鉄や国道が走る繁華街。交差点の表示は「徳川」とあるので、
尾張徳川家所縁の場所に繁華街が出来たと見るべきでしょう。
19号線から少し東へ入り東区役所に隣接した場所にその寺院はありました。道路に面して建つのは三門(山門)ですが、
道路を隔てて南には建中寺公園があり、その南には総門があり、こっちが境内の南端であったようです。

慶安4年(1651年)築の総門
総欅造り三間薬医門の建築様式で本瓦葺き。奥に見えるのが建中寺公園。

道路に面した三門(山門)
通常はここから入山。三門とは空門・無相門・無願門の三解脱門の意味を持つ。

慶安4年築の三門(山門)
総檜造り三間重層門で本瓦葺き。二階には釈迦牟尼を中心に十六羅漢が祀られるが非公開。

三門扉にある三つ葉葵の紋

三門脇の寺標
徳興山建中寺(とくこうさんけんちゅうじ)は、
『慶安4年(1651年)に尾張徳川家二代藩主光友公が創建。前年に逝去した初代藩主義直公(家康九男)の菩提を弔う
尾張徳川家祖先代々の菩提寺として、また藩内全ての人々の心の拠り所とするためであったと言われる。
5万坪の敷地に本堂を始めとして諸堂伽藍数十棟が並ぶ。
開山には茨城県結城市弘経寺の成誉廓呑上人を招聘。上人は学徳一世に高く御所参内して常紫衣の綸旨を拝した
高僧である。江戸時代は無本寺(別格本山)として塔頭寺院と末寺を有していた。

現在の境内の様子

天明7年(1789年)再建の本堂
入母屋造り本瓦葺きで古式に則った様式で再建された。

本堂の破風の彫刻と屋根瓦にある三つ葉葵の紋

本堂前面
間口15間、奥行14間、建坪210坪の市内木造建築としては最大級である。

本堂に掲げられた「徳興山」の扁額

本堂内陣の欄間彫刻と金襴緞子

本堂より三門を見る
天明5年(1785年)大曾根の大火に際し、火の付いた布団が本堂の屋根に巻き付き、総門、山門を残して灰燼に帰したが、
天明7年に尾張藩と住職の努力に拠って創建当時の姿に復元された。
大政奉還後の明治5年(1872年)に寺格を無本寺から知恩院の末寺へと降格され今に至っている。太平洋戦争では幸いに
して名古屋空襲を免れて堂塔伽藍は江戸時代の偉容を今に留め、その多くが文化財の指定を受けている。』 とあります。

本堂脇を通り御朱印拝受のため寺務所へ

本堂脇の書院
昭和39年(1964年)の再建。名工大竹利左衛門に拠る設計で壮麗なもの。

書院の扁額

徳興殿と寺務所(右)
徳興殿は明治29年(1896年)に旧名古屋商業会議所本館として建築され、昭和9年(1934年)に建中寺に移築された。

文政11年(1828年)創建の経蔵
第24~26世上人の三代を経て完成。内部には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経五千八百巻が納められている。

経蔵の屋根裏の構造
徳興山の山号は「徳川が興る」事に由来すると思いましたが、御朱印を書いて頂いた若い僧侶の話ではお経の一節だそう。
境内の雰囲気は以前に訪れた岡崎の「大樹寺」に似た印象。浄土宗で徳川氏の庇護を受けたというのが共通点ですが、
沿革が似ると【遠隔】でも似るという好例に思えます。

三門左手の開山堂と不動堂(奥)

天明6年(1786年)再建の開山堂
大工は斎谷小一郎藤原長虎で寄棟造り桟瓦葺き。建中寺の開山上人、中興上人の木像と代々の住職の位牌を祀る。

昭和44年(1969年)再建の不動堂
本尊の不動明王は尾張徳川家の戦勝祈願の秘仏で、普段は前立て本尊を拝む。

龍の彫刻の石灯籠

天明7年再建の鐘楼
梵鐘には林羅山の銘が刻まれていたために戦時中の供出を免れたと伝わる。

賓客をもてなすための御成門
四脚平唐門、本瓦葺きの華やかな小門で、ここに移築される前は五代藩主五郎太公霊廟の紋であった。
名古屋の繁華街にあるものの、境内に入ると静かで厳かな雰囲気に浸ることができます。名古屋は太平洋戦争でも
空襲被害が大きく国宝名古屋城も焼失。そのような中で空襲を免れたのは奇跡的とも言えるでしょう。
建造物も再建等もあって年代の幅はありますが、それほど違和感がないのは、以前の様式を保っているから。
この辺りは名古屋人気質と言えましょうか?まさに都会の中で静かに息づく360年の歴史を体感できました。

建中寺幼稚園
昭和2年(1927年)創立で、昭和37年(1962年)に建中寺幼稚園として認可された。

建中寺説明書

寺務所で購入した冊子 ¥200

建中寺御朱印

名古屋代官郵便局 ; 建中寺本堂、灯籠、、松
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